「ガガちゃん」こと臥牙丸にとって、
日本は「夢の国」だった (3ページ目)
彼の活躍もあって、僕も日本という国に憧れていた。パソコンや電化製品で有名なソニーも日本にあるし、経済が発展しているというイメージ。当時の僕にとって、日本はまさに「夢の国」だったんだ。
だから、ジュニア選手権が日本であると聞いた時に、「これはチャンスだ!」と思ったし、「もしかして、黒海関のようなお相撲さんになれるかもしれない」とワクワクしたよ。
ジュニア選手権がきっかけとなって、僕は日本のアマチュア相撲関係者と知り合って、日大相撲部の田中英寿監督を紹介してもらった。そしてしばらくは、日大相撲部の合宿所に住んで練習をさせてもらいながら、入門のチャンスを待っていた。
そんな時、声をかけてくれたのが、今の師匠(木瀬親方)。早速8月に木瀬部屋への入門が決まって、テスト期間が終わった11月の九州場所で初土俵を踏むことになった。
四股名は、「臥牙丸」と決まった。僕の本名は「ジュゲリ・ティムラズ」っていうんだけど、小さい頃からのニックネームは「ガガ」。だから、その「ガガ」に横綱・武蔵丸関のように強くなってほしいという意味を込めて「丸」を付けた。ちなみに、レディー・ガガとは、なんの関係もないよ(笑)。
2005年九州場所で初土俵を踏み、2006年の初場所(1月場所)、序ノ口でいきなり優勝。序二段も1場所で通過して、三段目も3場所で卒業。入門1年で、順調に幕下まで番付を上げた僕。
「これなら、すぐに十両に上がれるかも!」
そんな気持ちがちょっとあったことも確か(笑)。
でも実際には、幕下には強いお相撲さんがいっぱいいて、ずっと足踏みしてしまった。一緒に日本にやってきて、2場所遅れで初土俵を踏んだ栃ノ心は、入門から2年足らずで新十両を決めたのに、僕はなんでダメなんだろう......って落ち込んでいたね。
番付は低迷していたけれど、体重のほうは順調に増えていったよ。入門した時に150kgだったのが、1年で10kgくらいずつ増えていって、入門から4年後、幕下10枚目で優勝した時には190kgまで増えていた。
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