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ブルガリアから来日→角界入り即断。
琴欧洲は運命の出会いを果たした (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki

 翌2002年のドイツオープン相撲選手権の時です。

「キミがカロヤンくんかい? 相撲強いね。日本に行って、力士になってみないか?」

 と声をかけてきた男性がいました。

 昔、佐渡ヶ嶽部屋の床山さんをしていた日本人で、今はドイツで相撲の指導をしている中本淑郎さんという方でした。

 中本さんからは、その後何度も誘われました。そこでわかったことは、日本の大相撲はアマチュア競技ではなく、プロの世界。成功すれば、親孝行もできる。入門できるのは23歳まで(当時)......などということ。

「日本の大相撲の世界をちょっと見に行ってみようかな?」

 ちょうど大学が夏休みに入っていたので、私は軽い気持ちで中本さんたちと一緒に、日本の佐渡ヶ嶽部屋に向かったのです。

来日した当時のことを語る鳴戸親方(元大関・琴欧州)来日した当時のことを語る鳴戸親方(元大関・琴欧州) 成田空港から、車で憧れの東京に――。

 ブルガリア人の私だって、日本の首都・東京がすごく発展している都市だということくらいは知っていました。けれども、いつまで経っても高層ビル群などは見えてこなくて、自分の田舎と同じような田園風景が続きます。

 なんかおかしいな......。

 佐渡ヶ嶽部屋は千葉県の松戸市にあり、部屋の周りも、とてものどか。大都会を想像していた私は、まず驚きましたね。

 部屋に着いた翌朝から、私はまわしを締めて、佐渡ヶ嶽部屋の若い力士たちと相撲の稽古をしました。世界選手権で3位になったという自信が多少はありました。けれども、ブルガリアの相撲の練習と、大相撲の稽古とでは筋肉の使い方がまったく違っていたんです。四股、すり足......、相撲の基本動作と言われるこの2つをこなすことが、どれだけ大変か......。

 稽古は朝食抜きで、朝7時から11時過ぎまで延々と続きます。(先代)佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)は、上がり座敷に座って、弟子たちを怒鳴っている。稽古が終わっても、先輩力士が風呂に入って、ちゃんこを食べるまで自分は食べられない。私が昼食をとる頃には、すでに時計は13時を回っています。

 なんだ、このシステムは! これがプロスポーツの団体なのか?

 冒頭に言ったように、まるでタイムカプセルに入ったのかと思うほど、面食らうことばかりだったわけです。

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