2019.05.04

2002年の冬季五輪、清水宏保の銀メダルは
金メダル以上の価値があった

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama
  • Toshimi photo by AFP/AFLO

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2002年2月 ソルトレイクシティオリンピック スピードスケート男子500m】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。現場で取材をしたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

 1998年の長野五輪スピードスケート男子500mで、日本スピードスケート界初となる金メダルを獲得し、日本中を熱狂させた清水宏保。彼が死力を尽くす戦いを見せたのは、五輪連覇を狙った2002年のソルトレイクシティ五輪(アメリカ)だった。

ソルトレイクシティ五輪でスピードスケート男子500mの連覇を狙った清水

 その前年の3月、清水はジェレミー・ウォザースプーン(カナダ)が持っていた世界記録を0秒31塗り替える34秒32を出し、4度目の世界記録保持者になった。だが、五輪シーズンの出だしは最悪だった。2001年11月の国内初戦は腰痛のため欠場。W杯初戦となったソルトレイクシティ大会では1本目で25位、2本目で16位に終わり、順位によるポイントで分けられるカテゴリーのディビジョンBに落ちた。

 それでも、次戦のカルガリー大会(カナダ)で3位と1位になってディビジョンAに戻ると、翌年1月のヘレンベーン大会(オランダ)では、1本目が9位、2本目はシーズン初の表彰台となる3位に。さらに1週間後の世界スプリント2日目にはケーシー・フィッツランドルフ(アメリカ)と同タイムながら1位になった。

 そんな復調ぶりに、「五輪は万全」と2大会連続の金メダルを期待された清水だったが、ソルトレイク五輪のレース終了後に彼が明かした腰の状態は、普通であればレースができないほどに深刻だった。

「腰を痛めたのは昨年の10月で、カルガリーでダッシュをした時でした。それからずっと治らなくてヘレンベーンでもレースができるような状態ではなかったけど、痛みの伝達を一時的に遮断する弛緩ブロック注射を3カ所に射ってもらって滑りました。世界スプリントは痛みの個所が増えたので5カ所に射ち、レース当日には痛み止めの薬も飲みましたね。今日も3カ所に注射を射って、痛み止めを飲みながらやったので、決して腰が回復していたわけではなかったです」