2002年の冬季五輪、清水宏保の銀メダルは金メダル以上の価値があった
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平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン
【2002年2月 ソルトレイクシティオリンピック スピードスケート男子500m】
歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動......。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。現場で取材をしたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。
1998年の長野五輪スピードスケート男子500mで、日本スピードスケート界初となる金メダルを獲得し、日本中を熱狂させた清水宏保。彼が死力を尽くす戦いを見せたのは、五輪連覇を狙った2002年のソルトレイクシティ五輪(アメリカ)だった。
ソルトレイクシティ五輪でスピードスケート男子500mの連覇を狙った清水
その前年の3月、清水はジェレミー・ウォザースプーン(カナダ)が持っていた世界記録を0秒31塗り替える34秒32を出し、4度目の世界記録保持者になった。だが、五輪シーズンの出だしは最悪だった。2001年11月の国内初戦は腰痛のため欠場。W杯初戦となったソルトレイクシティ大会では1本目で25位、2本目で16位に終わり、順位によるポイントで分けられるカテゴリーのディビジョンBに落ちた。
それでも、次戦のカルガリー大会(カナダ)で3位と1位になってディビジョンAに戻ると、翌年1月のヘレンベーン大会(オランダ)では、1本目が9位、2本目はシーズン初の表彰台となる3位に。さらに1週間後の世界スプリント2日目にはケーシー・フィッツランドルフ(アメリカ)と同タイムながら1位になった。
そんな復調ぶりに、「五輪は万全」と2大会連続の金メダルを期待された清水だったが、ソルトレイク五輪のレース終了後に彼が明かした腰の状態は、普通であればレースができないほどに深刻だった。
「腰を痛めたのは昨年の10月で、カルガリーでダッシュをした時でした。それからずっと治らなくてヘレンベーンでもレースができるような状態ではなかったけど、痛みの伝達を一時的に遮断する弛緩ブロック注射を3カ所に射ってもらって滑りました。世界スプリントは痛みの個所が増えたので5カ所に射ち、レース当日には痛み止めの薬も飲みましたね。今日も3カ所に注射を射って、痛み止めを飲みながらやったので、決して腰が回復していたわけではなかったです」
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