揺れる角界に差す光。大鵬の孫が、急逝した恩人の想いを胸に初土俵へ (2ページ目)
相撲部屋で育ったこともあって、物心ついた時から納谷の将来の目標は「力士になること」だった。まわしをつけて大嶽部屋の朝稽古に参加したことも多かったが、そんな時、いつも優しく見守ってくれた世話人がいた。昨年9月に、虚血性心不全で急逝した友鵬勝尊(ゆうほう・まさたか)さんだ。
現役時代、大鵬部屋で幕下筆頭まで上がった友鵬さん。温厚で誠実な人柄を大鵬さんが高く評価し、引退後は世話人として協会に残って"大鵬の右腕"として弟子に稽古、私生活の指導をしていた。納谷も幼い頃から面倒を見てもらっており、「親戚のおじさんといった感じ」だったという。
部屋の稽古では納谷を目の前に呼び、片方の足を上げるだけの四股ではなく、しっかり腰を下ろして踏む本物の四股を叩き込まれた。厳しかったが、冗談が好きな一面もあった。納谷は「まだ小学生だった時に、友鵬さんから『おい、酒飲むか』って言われて(笑)。稽古場を離れるとそういう冗談で周りをいつも笑顔にしていました」と、懐かしそうに振り返る。
納谷が中学から埼玉栄に進学してからは、寮生活になったため顔を合わせる機会は減ったものの、いつも体調を気にかけてくれたという。昨年8月、お台場で行なわれた夏巡業で会った際に、大嶽部屋に入ることを伝えると、「頑張れよ」と笑顔で返してくれた。
それが、友鵬さんにもらった最後の言葉になった。
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