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明治11年以来、初めて関取が消えた高砂部屋。
幕下力士たちの思いは? (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News

 これだけ長きにわたり関取が途絶えなかった部屋は、現在43ある相撲部屋の中でも高砂部屋のみ。その歴史も栄光に彩られ、これまで西ノ海、小錦(初代)、前田山、東富士、朝潮(3代目)、朝青龍の6人の力士が横綱まで上りつめた。大関も、現在の師匠(4代目朝潮)を含む5人を輩出し、角界を代表する名門と呼ぶにふさわしい看板を守ってきた。

 それほどの名門部屋でありながら、関取が途絶えてしまった最大の原因は、新弟子の獲得が難しくなったことにあるだろう。高砂部屋は、2009年の春場所に朝興貴が初土俵を踏んでから、2012年名古屋場所までの約3年間、新弟子の入門がなかった。新たな人材が獲得できなければ、関取はおろか力士をイチから育てることもできない。

 初土俵から序ノ口、序二段、三段目、幕下、そして十両と育成には長い時間がかかる。十両への最速昇進は、木瀬部屋の常幸龍ら3人が成し遂げた所要6場所という記録だが、これは学生時代に実績を残すなど、入門前から有望だった力士が達成した例外中の例外。本格的な相撲経験のない中学、あるいは高校を卒業した新弟子を関取まで育てるには、順調に出世しても3年から5年はかかる。それだけに、約3年もの間、新弟子が入らなかったことは高砂部屋にとって厳しい現実だった。

 ただ、この「新弟子の入門者数の停滞」は角界全体の問題でもある。年間の入門者数は1992年の223人をピークに減少。2006年からは100人に届かない状況が続いており、昨年も88人だった。現在、テレビ中継でも高い視聴率を獲得し、人気が高まっている大相撲だが、新たな人材の獲得が今後も停滞すれば、さらなる土俵の活性化への見通しは暗くなるばかりだ。

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