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明治11年以来、初めて関取が消えた高砂部屋。
幕下力士たちの思いは? (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News

 そんな状況を打開しようと、相撲協会も新弟子の入門基準に新たな対策を講じている。2012年5月には「身長173cm、体重75kg以上」だった体格基準を改訂し、体の小さな希望者を対象としていた第2検査を撤廃して「身長167cm、体重67kg以上」とした。また、2015年5月には学生相撲出身の入門者の規定も緩和。全国選手権など主要3大会で8強以上の実績を残した選手は、三段目付け出しの資格を与えることを決め、門戸を拡大している。それでも、新弟子の増加に劇的な効果をもたらしているとは言いがたい。

 新弟子の減少に加え、高砂部屋では2010年の初場所後に朝青龍が突然の引退を発表する事態があった。しかもそれが、スキャンダルを起こしての引退となったことは、部屋のイメージ低下に少なからず影響を与えただろう。この危機を乗り越え、たったひとりで関取の座を守り続けていた朝赤龍の努力精進は特筆すべきものといえる。

 一度は朝弁慶が2015年の九州場所で十両に昇進したが、朝赤龍の踏ん張りがなければその前に関取が途絶えていた。時には、ケガによる激痛を痛み止めで抑えて強行出場したこともある朝赤龍は、「部屋の看板を守っていかなくてはいけないという気持ちで土俵に上がっていました」と明かした。

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