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【大相撲】旭天鵬、引退。偉大な横綱たちを裏で育てた「先駆者」 (4ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 旭天鵬は、同期の旭天山とともに、そうした故郷の後輩たちの面倒をよく見ていた。言葉が通じないもどかしさ、文化の違いによる戸惑い、さらに相撲界という特殊な世界のしきたりに対する不平不満など、後輩たちの苦労や悩みを親身になって聞いていたという。かつて、自らも一度は相撲界から逃げ出したからこそ、苦悩する後輩たちを放っておくことができなかった。

 例えば、相撲界に入門したばかりの朝青龍は、慣れない風習や言葉が通じない環境の中で苛立ちを隠せずにいることが多かった。そこで旭天鵬は、旭天山に軍資金を渡して、朝青龍をモンゴル料理屋に連れて行って話を聞いてあげるよう、手配したりした。巡業中には、モンゴル人力士をみんな集めて、母国語で言いたいことを言えるような場を設けて、飲み明かしたりもしたという。

 そんな旭天鵬の細やかな気配りとフォローがあって、朝青龍は1999年に入門してわずか4年で横綱に昇進。2001年に入門した白鵬も、およそ6年で横綱となって、史上最多優勝を果たすほどの大横綱となった。その後、彼らに追随して横綱となった日馬富士や鶴竜も、旭天鵬の存在なくして、ここまで出世することはなかっただろう。

 そんな4人のモンゴル人横綱は、敬意を込めて、旭天鵬のことを「アニキ」と呼ぶ。もちろん、それは彼ら4人に限ったことではない。今や相撲界に欠くことのできないモンゴル人力士の誰もが、旭天鵬のことを慕い、尊敬している。モンゴル人力士すべての、大事な“兄貴”なのである。

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