東京五輪金メダリスト、三宅義信が語る過去と未来

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 鈴木昭寿●写真photo by Suzuki Terukazu

10月特集 東京オリンピック 1964の栄光、2020の展望(8)

 一昨年のロンドン五輪で銀メダルを獲得した三宅宏実の伯父であり、1960年ローマ五輪で銀メダル、1964年東京五輪では日本チームを勢いに乗せる第一号の金メダルを獲得したウエイトリフティングの三宅義信氏。

毎日トレーニングは欠かさないという三宅義信氏毎日トレーニングは欠かさないという三宅義信氏 自国開催の東京五輪では世界記録を樹立して、フェザー級で優勝を果たした。このときは、三宅氏の金メダル獲得だけでなく、バンタム級の一ノ関史郎とミドル級の大内仁が銅メダルを獲得。他にも4名の6位入賞者(当時は6位までが入賞)も出て、日本の存在感を強烈にアピールした。

 続く68年メキシコ五輪で連覇を達成。72年ミュンヘン五輪では4位と、メダル獲得とはならなかったが、第一線で日本ウエイトリフティングを牽引してきた。

 そんな、三宅氏がウエイトリフティングを始めたのは、宮城県大河原商業高校2年の時。

「メルボルン五輪(1956年)を見たのがきっかけですね。それまで柔道をやっていたけど、その頃は階級が無く無差別の時代。最初は練習の一環として重量挙げをやっていたが、柔道では体が大きくて体重のある人には重量で負けるから『それなら重量挙げの方がいいよ』ということでやり始めたんです。この競技は自分が練習した分だけ力も付いてくるし、施設も特にいらずバーベルだけあればいいから」

 開始半年後には全国大会で入賞。卒業後は法政大に進んで競技を続けた。そして五輪代表と、瞬(またた)く間にトップまで上り詰めた。

「ローマでは、金を獲る力があったと思います。そう思って乗り込んだから銀に終わった時は、試合は難しいものだなと思いましたね。しっかり強化もできていたので記録を出す自信はあったけど、飛行機に乗るのも海外へ行くのも、すべてが初めてでしたからね。でもそういう経験をして、その後は自分の力を出せるようになったと思います」

 ウエイトリフティングの場合は体重が大きな要素を占める。例えば、バーベルを持つ指が細くなるだけで重さを余計に感じ、体の水分が少し減るだけで靴の紐を普段より強めに締めなければいけなくなり、体を支える足のサイズが少し違うだけで安定感が変わるほど微妙なものだという。

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