新国立競技場に賛成できない最大の理由 (3ページ目)
これほど気分よく観戦できるスタジアムも珍しい。神宮の杜が放つ絶妙な空気感を、スタジアムの中にいても共有できるからだ。神宮球場、秩父宮ラグビー場もしかり。スタンドの外から入り込んでくる、何とも言えない良い「気」を感じながら、開放感に浸り、ナチュラルな気分で観戦することができる。施設は古いが今日的。高い精神性を兼ね備えた、お洒落でモダンなスポーツ施設だと言える。
スタジアムとその周辺に漂うこの快適な空気感、文化的な香りこそ、世界に向けて宣伝すべき一番のものではないか。
神宮の杜を利用して五輪を開催することに何ら異論はない。だが、その貴重さ、言い換えれば自分自身の魅力に気付いている人は思いのほか少ない。新国立競技場のコンペを主催した日本スポーツ振興センター、その選考に当たった委員、五輪開催に積極的な政治家、メディア関係者もしかりだ。実際、五輪招致のスピーチの中で、その魅力に言及した人は、僕が知る限り誰もいなかった。灯台もと暗しとはこのことだ。
神宮外苑の空気感にいかにマッチさせるか。新国立競技場のコンセプトは、その点に立脚していなければならない。
東京はそもそも2020年夏季五輪開催を通して、今後の世界にどんなメッセージを発信しようとしているのか。スタジアムはメッセージをこめやすい建造物と言っていいが、ザハ・ハディドさんの新国立競技場案から、それとの関連性は見えてこない。むしろ、いま世の中が求めているものとは正反対のものに見える。
ダメもとを承知で言えば、考え直すべきだと思う。現国立競技場を取り壊す前に。
(続く)
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