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【月刊・白鵬】横綱に多大な影響を与えた、ふたりの「引退力士」 (2ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 奇しくも10日目の"最後の一番"は、私との対戦でした(上手投げで横綱の勝利)。それについて琴欧洲は、引退会見でこんなふうに語っていました。

「横綱との一番では、『横綱と相撲をとるのもこれで最後かな......』という感慨が募って、仕切りのときからまともに顔を見ることができませんでした。そして、『(自分の相撲人生も)終わりが近づいてきたな』と思っていました」

 あの一番では、私もそんな雰囲気を察していたので、涙が出る思いでしたね。「あぁ、ひとつの時代が終わったな」と、感傷的な気持ちになっていました。

 先述したように、恵まれた体格を持つ琴欧洲。地位にこだわらなければ、幕内を維持することは十分に可能だったはずです。それでも「引退」を決意したというのは、大関を長年張ってきたという、彼のプライドがあったからではないかと思っています。

 巡業などでは、お互いに火が出るような稽古を重ねてきました。そうした間柄だからこそ、言葉をかわさなくてもわかり合えるものがありました。それだけに、琴欧洲の引退は寂しい限りですが、私はまだまだ前を向いて、彼の分までがんばっていかなければいけないな、と決意を新たにしました。

 土俵を去ったのは1年前になりますが、2月に断髪式を行なった雅山関との"別れ"も寂しいものでした。

 重みのある強烈な突っ張り、そしてタイミングのいい叩きは、雅山関にしかできない、いわば職人技。かつては大関を務めて「平成の新怪物」と称された雅山関には、私もかなりの影響を受けました。

 まず、忘れることができないのは、私が新大関に昇進した2006年の夏場所、初優勝を果たしたときのことです。優勝決定戦で対戦したのが、当時関脇の雅山関でした。

 この場所、5日目に雅山関と対戦し、その際は私が敗れました。その翌日に雅山関も1敗を喫しましたが、その後はお互いに勝ち星を重ねて、14勝1敗で並んで優勝決定戦に進みました。

 迎えた決定戦、仕切りの間から、大関復帰を目指している雅山関の気迫がひしひしと伝わってきました。しかし、初優勝がかかっている私も負けるわけにはいきません。雅山関に負けじと気持ちを高め、全力でぶつかっていきました。結果は私が勝ったのですが、互いに全力を尽くしたあの一番は、非常に思い出深く、今でもそのときのことは鮮明に覚えています。

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