【月刊・白鵬】春になると思い出す、12年前の出来事 (2ページ目)
一方、春場所の目玉となる力士と言えば、地元の寝屋川市出身の関脇・豪栄道です。私も、このコラムで「今年、期待する力士」の一番手として名前を挙げました。初場所(1月場所)では大関獲りがかかっていたものの、中盤から失速。結局8勝で終わってしまっただけに、この春場所では大いに発奮し、再び大関獲りを狙えるような巻き返しを見せてほしいものです。
しかし場所前、出稽古先で見た豪栄道は、正直「もうひとつ」といった印象でした。小結の栃煌山らがいる春日野部屋に出向いた際、ちょうど豪栄道も出稽古に来ていたのですが、やや迫力に欠け、こちらに強く伝わってくるものがありませんでした。もともと地力がある力士なのですから、もっと堂々として、自分が受けて立つ気持ちで、相手に挑んでほしい。もちろん、ここまで厳しい発言をするのは、豪栄道に期待する思いが強いからです。彼は、精神的にも一本芯が通ったところがあり、そろそろ「大化け」してもらいたいと思っています。
何はともあれ、この春場所も初場所に続いて、私と日馬富士関とで土俵を引っ張っていかなければなりません。そのうえで、大阪という土地は、私にとって縁起のいい場所でもあるので、北の湖理事長の持つ優勝24回という記録に追いつけるようにがんばるつもりです。
さて、出会いと別れの季節でもある春。卒業シーズンということもあって、春場所前の新弟子検査では、いつもより多くの力士希望者が受検をします。ここ数年、新弟子希望者は減少傾向にありましたが、この春場所では昨年を上回る、40人近い新弟子たちが力士の仲間入りを果たすことになりそうです。
振り返れば、私が新弟子検査を受けたのは、12年前の春場所でした。
その前年、私は「日本で相撲の基礎が学べる」ということで、7人の仲間とともに日本にやって来ました。その際、「力士になりたい」という思いがあったわけではないのですが、他の仲間たちが次々に声をかけられて相撲部屋への入門を決めていく姿を見て、一切声をかけてもらえなかった自分はかなり悔しい思いをしました。
それでも、帰国寸前に宮城野親方に声をかけていただいて、入門を決めました。その後、3カ月間の研修期間を経て、晴れて新弟子検査を受けることができたのですが、当時の私は何の取り得もないヒョロヒョロの少年でした。春場所が来る度に、そのときのことが昨日のことのように思い出されます。
非力で、相撲も強くなかった私が、今こうして横綱を張っていることは、当時はとても想像もできないことでした。でも、悔しい思いをして、ひ弱だったからこそ、懸命に上を目指してこられた。それが、自分の「運命」だったのでしょう。今は、そんなふうに思っていますし、当時を振り返ることで気持ちが新たになります。
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