検索

浅田真央がソチ五輪で見せた涙と笑顔の舞台裏「これなら、いけるかも」失意のあとに見せた最高の演技 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【涙と笑顔が入り混じった2度目の大舞台】

 2回目の五輪の初ステージは、この大会から導入された団体戦だった。直近の試合では70点台を安定して出していたSPだったが、最初のトリプルアクセルをダウングレードで転倒して、64.07点の3位。浅田の心に「大丈夫かな」と不安が芽生えていた。

 個人戦SPの浅田は最終グループの最終滑走。その前の第3グループには、キムが登場。キムは2010年バンクーバー五輪後、途中1シーズンは全休し、世界トップの舞台には2011年と2013年の世界選手権のみの出場と、表舞台にあまり顔を出していなかった。そのキムがノーミスの滑りをして74.92点を出し、暫定1位になっていた。

 最終グループ1番滑走のユリア・リプニツカヤ(ロシア)は団体戦のロシア優勝の立役者だったが、その疲労もあったのか、最後の3回転フリップで転倒して65.23点と出遅れた。その後のカロリーナ・コストナー(イタリア)が74.12点を出し、アデリナ・ソトニコワ(ロシア)も74.14点と、浅田がメダル圏内につけるには、自己ベストに迫る得点を出さなければいけない状況だった。

 そんななか、浅田は最初のトリプルアクセルを回転不足で転倒し、次の3回転フリップも回転不足。最後の連続ジャンプも単発になり、55.51点の16位と予想外の結果になった。

「団体戦のあとは調子が上がらないままでしたが、そこで強い気持ちを持たなくてはいけないと思いすぎました。滑り出してから、緊張で身体がうまく動かないのに気づきましたが、それでも行かなきゃいけないというのが、頭の中をよぎってしまった」

 浅田は硬い表情でこう話し、翌日には「終わったあとは言葉にもならなくて、今まで何をやってきたんだろうと思いました」と語った。翌朝のフリーの公式練習には「寝不足で、起きるのが遅れました」と遅刻。練習でも身体が動かず、不安が募った。

 しかし、演技前の6分間練習を滑り出した時、「自分の気持ちが大きく伸びきるような気がしました。これならいけるかもしれない」と思ったという。そして演技前には佐藤コーチから「何かあったら助けに行く」と言われ、「自分が練習してきたことを信じてやれば、大丈夫だ」と自信を持って氷上に立った。

 トリプルアクセルを1本にし、3回転ルッツを入れる構成。浅田は最初のトリプルアクセルをしっかり決めると、その後の連続ジャンプ2本の回転不足とルッツのエッジエラーはあったが、流れを途切らせずに丁寧に滑り、スピンとステップもすべてレベル4にする演技。滑りきった瞬間、天を仰いでぽろぽろと涙を流し、涙をぬぐうと観客席に向けて笑顔であいさつをした。

「ショートではすごく悔しい思いをしたけれど、たくさんの人たちが心配してくれた。最後はやるしかないと覚悟を決めて、たとえ失敗しても自分のやってきたことを信じて跳ぶという気持ちを持って滑りました。最高の演技ができたので、恩返しができたと思います」

 こう話す浅田はフリー3位で、自己最高得点の142.71点をマーク。合計198.22点にして、6位まで順位を上げた。

「今は悔しい気持ちと、やりきった気持ちの両方があります。バンクーバー五輪でも終わった時はそういう気持ちでしたが、あとから『よかったな』と思えるようになりました。だから今回も、よかったなという気持ちがあとから自然に湧き出てくると思います」

 こう言って穏やかな笑顔を見せた浅田は、1カ月後に日本で開催された世界選手権のSPでトリプルアクセルを決めるノーミスの演技を見せ、歴代世界最高得点の78.66点を出した。フリーではソチ五輪と同じ構成で回転不足を複数出しながらも、合計を自己ベスト更新の216.69点で3回目の優勝を飾った。

 その後は1年間休養し、復帰した2015−2016シーズンはGPシリーズ中国大会で優勝してGPファイナルにも進出し、全日本選手権3位で世界選手権にも出場。翌季はGPシーズ2戦出場のあと、全日本選手権が最後の試合となった。

 競技引退後、プロフィギュアスケーターとして『浅田真央サンクスツアー』で3年間、202公演を滑りきり、2025年6月からは指導者としても活動を開始している。

 日本でもフィギュアスケートの注目度が高まってきた頃に登場し、その競技を老若男女が観戦するような全国区の存在にしたのは、浅田真央という天才少女の存在があったからこそだった。

終わり

前編から読む

第13回につづく

<プロフィール>
浅田真央 あさだ・まお/1990年、名古屋市生まれ。ノービス時代から全日本選手権に出場し、トリプルアクセルを武器に世界のトップで活躍。2010年バンクーバー五輪銀メダル、世界選手権優勝3回など数々の実績を残した。2017年に現役引退後はアイスショーのプロデュースや解説など幅広く活躍し、2025年からは指導者として活動。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

フォトギャラリーを見る

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る