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織田信成「ショックすぎて言葉にならない」初の五輪で不運のアクシデント 奔放にファンを楽しませたスケート人生 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【自由奔放に楽しんだスケート人生】

 悔いが残った初めての五輪。その挽回を期した2010年3月の世界選手権は、高橋が優勝。織田はSPですべてのジャンプがシングルになるミスをして28位と、どん底に落ちる結果になった。

 それでも4回転に挑戦し続けた2010−2011シーズンは、GPシリーズ2大会でともに2位になり、GPファイナルではSPで初めて4回転トーループ+3回転トーループに成功して2位に。全日本選手権も2位。そして2011年の世界選手権は、フリーでジャンプの回数違反を犯して6位だった。

 2011−2012シーズンは、左ひざの故障でGPシリーズ2大会のみの出場に終わり、翌季もGPファイナル進出と世界選手権出場を逃した。

 ソチ五輪シーズンの2013−2014シーズンは、初戦のネーベルホルン杯のSPとフリーで4回転トーループを成功させ、合計で262.98点の自己最高得点を出す。さらに、高橋が欠場し繰り上げ出場となったGPファイナルは3位に入って復活を印象づけたが、全日本選手権は優勝の羽生結弦が297.80点で、2位の町田樹が277.04点を出すハイレベルな戦いのなか4位にとどまり2回目の五輪出場を果たせず。翌日のメダリスト・オン・アイスで現役引退を表明した。

 軽やかで力強い演技と国際大会の結果だけではなく、数々のアクシデントとの遭遇や大泣きするキャラクターで強烈な印象を残した織田信成。

 だが彼のスケート人生はそれだけでは終わらなかった。2022年11月に10季ぶりに現役復帰。2023−2024シーズンは西日本選手権で優勝しながらも、日本アンチ・ドーピング機構への対応の不備で全日本に出場できず。それでも競技を続け、翌季も西日本優勝で出場権を獲得した全日本選手権では、SPで4回転トーループ+3回転トーループを成功させ、フリーでは4回転で転倒しながらも総合4位と、ファンを驚かせる滑りを見せた。

 2度目の現役引退は37歳だった。織田は波乱万丈に、そして自由奔放にフィギュアスケートを楽しんでファンに話題を提供し続けた。

終わり

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<プロフィール>
織田信成 おだ・のぶなり/1987年、大阪府生まれ。2005年、世界ジュニア選手権で優勝すると、シニアデビュー後は全日本選手権やNHK杯、四大陸選手権など数々の大会で優勝。2010年バンクーバー五輪は7位入賞。2013年に現役引退するも、2022年に復帰を表明し、2024年全日本選手権で4位入賞を果たした。2025年に再び引退。現在はプロフィギュアスケーターとしてアイスショーなどで活躍する。関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修修士課程修了。4児の父。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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