小説『アイスリンクの導き』最終話「氷上のフェニックス、再臨」 (3ページ目)
7歳の時、青いトレーナーを着ていた。黄色のヘルメットをかぶって、黒い手袋だった。なぜか、まったく寒くなかった。それだけ、滑ることに興奮していたのだろう。氷の上に立って、ちょっと体が前に進むのが楽しかった。自分のものでない力が作用しているようで、勝手に氷に導かれた。何度か、尻もちもついたが、冷たさを感じるのも悪くなかった。
「スケートが好き」
そう強く感じた。正直、それまでどんな子供だったのか、ほとんど記憶がない。自分の人生は、その日から始まったのだ。
―7歳でスケートの楽しみを知った星野少年に、タイムマシンで会いに行ったら、彼は大人になったあなたになんと言ってくるでしょうか?
インタビューで、そんな質問を受けたことがあった。
「まだ、やってたんだね!」
即座に答えたのを覚えている。
スケートに没頭する運命だった。そうすることが許された人生に感謝した。人に、時代に、導かれる運も与えられていた。
フィギュアスケーター人生、最後に見えてくる風景はまだ見えない。"たぶん、失速して終わっていくんだろう"と思う。だけど、最後の日まで全力でやるだけだ。
〈この瞬間がずっと続いてほしい〉
そう思った刹那、既視感を感じた。現役復帰を迷っていた時に見た、夢の風景にそっくりだった。スピンを回り続けるという恐怖だったが、スピンを無事回って、その後に広がった景色は違っていた。
演技終了直後、大歓声が沸き上がった。ビッグスコアが出るのは間違いない。観客席に目をやると、目を潤ませ、言葉にならない叫びを発し、嗚咽にむせぶ観客の顔もいるようだった。
リンクサイドでは、鈴木四郎コーチが拳を突き上げ、跳ね上がっていた。冷静に見えるが、熱いところがある。福山凌太は後ろの方で、淡々と拍手を送っていた。
「もう少し喜んでよ」
翔平は突っ込みたくなるが、凌太の目にうっすらと涙が浮かんでいるのが見えた。
橋本結菜も、一般客で来てくれていた。泣きながら、必死に手を叩く姿があった。父、母、妹も3人そろって、同じような仕草で感極まっているのが、「血のつながり」を感じておかしかった。関係者席では、圧倒的な全日本王者になっていたアイスダンスの本村茉優が真剣に見つめる姿も見えた。
「夢ではないのか」
咄嗟に不安になって、自分の手足があることを確認した。
フィギュアスケートとは何か?
それは自分にとって、『側にあるもの』だろう。好き、とかは軽々しくは言えない。とにかくずっとあるもの、あってほしいもの。いや、やっぱり好きなものと言ってしまっていいのか。すでに自分の一部なのだから。
氷の上に一人立つ翔平は、降臨したフェニックスのように眩い光の中にあった。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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