小説『アイスリンクの導き』最終話「氷上のフェニックス、再臨」 (2ページ目)
「あなたは苦難を乗り越えることで、誰かを幸せにしているんです。本人は大変でしょう。でも、乗り越えるたび、強さを増して、輝きを放っているはずです。
無責任に期待しすぎ?
だって、それが私の見込んだ翔平ですから」
波多野が遺したメッセージを思い出すと、身体の奥に火が付いた。
<波多野先生と目指した最高の風景に辿り着く>
翔平は静かに奮い立っていた。勝負の先の風景があるはずだった。スケートととことんかかわって、スケーターとして競技の世界に戻ってきたからこそ、その業から解脱する。氷上では何にも縛られない、自由の身になるのだ。
6分間練習を終えて最終滑走の演技で自分の順番になっていたが、翔平はそこに至るまでの記憶があまりない。空と海の間がないような無心の状態で、氷の一部になったように立っていた。熱気を生み出す会場と、その狭間にいるようだった。
北欧神話では、氷と炎の裂け目から滴り落ちたしずくから原初の神が生まれたという。
翔平は意識と無意識の狭間で、スタートポジションをとっていた。奇妙な感覚だった。思い入れのある「オペラ座の怪人」、流れ出したバイオリンの旋律を聴くというよりも肌で感じた。音の匂いがして、目に見えそうで、手触りがあり、味までしそうだった。
気づいたら、会心の4回転フリップを跳んでいた。それからも体の奥から感情があふれ出し、スケーティングに溶けていった。続く、トリプルアクセル、トリプルアクセル+ダブルアクセルを着氷。加点が大きくつくだろう。そして4回転ルッツも決めた。そこから穏やかだった恋心が激情に変わっていくのだが、その音を一つひとつ拾う。ステップでは身体が導かれるように動いて、観客の胸を打つようなスピンを決めた。
後半に入っても、疲れを感じない。膝も嘘のように痛みが鎮まったままだった。自分を遮るものは何もない。4回転トーループ+2回転トーループ、4回転トーループ、最後に3回転ループも成功。7本、すべてのジャンプで降りた。
最後は力尽きているはずなのに、全身に血が巡って、思うままに滑っていた。音に合わせて、何度も小さく跳びはね、ツイズルを入れ、疾走感を出す。観客に、怪人の恋の激情が伝わるだろうか。音が体の中でうねっている。
そこで初めてスケートを滑った時の風景が、フラッシュバックする。
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