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小説『アイスリンクの導き』第11話 「アイスダンサーの矜持」 (4ページ目)

 一緒に滑り出すと、茉優は声を出しそうになる。ロッカー、カウンター、ブラケット、ツイズルと入れ、一定のリズムでターンすると、翔平も調和した。茉優が少しでも力を抜いたら、置き去りにされる感覚もあるワンフットだった。一瞬にしてリードされていたわけで、それはアイスダンスにおける理想的な形だった。

「難しいですね。ユニゾンは」

 翔平は言ったが、ほとんど初見で、これだけのことができる人がいるのか。

「いや、すごいと思います」

 茉優は本心からそう言った。

「全然ですよ。リフトとか、絶対できないし。でも、スケーティングの一つひとつまでこだわっていて、人と一緒に滑ってお互いのよさを引き出すとか、なんだか新鮮な気持ちになりました。フィギュアって、まだまだ奥が深いんですね」

 翔平は喜びを滲ませた。

「楽しかったですか?」

 茉優は翔平に訊ねた。この人にアイスダンスに興味を持ってもらいたい、掛け値なしに思った。一緒にアイスダンスをやりたい、湧き上がる衝動を抑えられない。

「楽しかったです! いつかやってみたいな、なんて。そんな甘い競技じゃないでしょうけど」

「ぜひ! いつか、そうなる日が来るのを待っています」

 茉優は自己最高の笑顔を作った。

「まずは、年末の全日本、頑張ります。フィギュアの奥行きが広がって、生まれ変わったような気分です」

「応援しています」

 茉優は言った。

「茉優さんも、アイスダンスで出場ですよね。楽しみにしています!」

「リアムとの集大成にしたいと思っています」

「頑張ってくださいね」

「あ、呼び方、茉優、とか、茉優ちゃんでいいですよ。私が年下ですし、アイスダンスを一緒に滑った仲だから」

「じゃあ、茉優ちゃんも頑張って。また、全日本で会いましょう」

 翔平は爽やかに言った。

 茉優は立ち去る後ろ姿を見送った。曲がり角で彼が振り返ったので、胸が高鳴る。二人ともそれぞれ手を振った。

 茉優はアイスダンサーとして突っ走ってきた。カルガリー五輪も経験したが、全日本にシングルで出場した後の感覚に似たものがあった。これ以上何ができるのか、そこに行き着いてしまって、リアムにも励まされて競技生活続行を決めたが、引退も頭によぎっていた。25歳は日本人の女性選手としてはベテランの域である。大学卒業前後から、ずっと引き際は考えてきたのだ。

「幸せ」

 そう思えるだけのフィギュアスケーター人生だった。誰にも文句は言わせない。矜持もある。ただ、まだ見ていない景色がある気もしていた。

 もし、翔平がシングルスケーターとしてやり終えたら、その後で声を掛けようと心に決めた。

「Mayu , Come here.Let's check first」

 リアムが「さっきのところ、チェックしよう」と呼ぶ声が聞こえて、心臓が跳ね上がった。悪いことをしていたわけではないが、後ろめたさはあった。ただ、抗いきれない引力を感じた。

〈翔平君も同じ気持ちだったらいいな〉

 茉優はそう願った。

「Mayu?」

 リアムの少し苛立った声が聞こえた。タブレットを抱えながら、足を踏み鳴らしている。駄々っ子のようだ。

 茉優は全日本まではリアムとのカップルに全力で集中すべく、今日、心に起こった思いを削除した。それが、アイスダンスのカップルとしての礼儀だ。

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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