坂本花織「ロシアの選手が帰ってきても堂々と表彰台に立てるように」 今季最後の演技は悔しいミスも「プラスになる」
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●寝ても寝ても「しんどい」コンディション
連覇を達成した世界選手権後の3週間、その間にスターズ・オン・アイスの3会場10公演をこなした疲労は如実だった。
坂本花織(シスメックス)は世界国別対抗戦初日4月13日のショートプログラム(SP)のあと、「中野(園子)コーチからちょっと重かったねと言われました」と苦笑する。
競技前日の公式練習のあとに坂本は「スケートの調子は世界選手権のストレスから解放されていい感じになっているけど、体はしんどいです。寝ても、寝ても回復しないくらい疲れています」と話していた。
そのSPは滑り出しから動きにキレがなく、重い滑りだった。それでも、最初のダブルアクセルと3回転ルッツは確実に跳んでGOE(出来ばえ点)加点を稼いだが、演技後半の3回転フリップ+3回転トーループは両方とも4分の1の回転不足と判定され、トーループは転倒してしまった。
「3・3(連続ジャンプ)はちょっと跳び急ぎ過ぎたなという感じがあって。気持ちが先走ってしまったというか、いつものリズムじゃなく跳んでしまった。練習でも何回か出ていたから、やっぱり練習が試合でも出るのだなと感じました。
最初のフリップは回転不足で降りたと感じたし、体勢的にはそのあとは2回転でまとめたほうがよかったかもしれない。3回転に挑むかすごく悩んだんですけど、もう気持ちが3回転だった。無理矢理にでもつけようと思ってやったらこけちゃいました」
このプログラムは、新たな挑戦として選択し、苦しみながらつくり上げてきた。その最後の披露だからこそ、3回転+3回転は跳びたいと坂本は思った。世界女王としての意地でもあったのだろう。
その転倒に加え、中盤のコンビネーションスピンと最後のレイバックスピンがレベル3ととりこぼしたことも影響し、SPの得点は今季セカンドワーストの72.69点。
伸びのあるノーミスの滑りをして自己最高を更新した世界選手権2位のイ・ヘイン(韓国)に、4.21点及ばない2位という結果にとどまった。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。