羽生結弦「らしい質問ですね」。会見のやりとりと北京の演技を通じて記者が感じた夢を追う生きざま (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直/JMPA●撮影 photo by Noto Sunao/JMPA

 そのやりとりも合わせて考えた時、すべてを計算し尽くして完璧に演じていた、全日本選手権の演技と(記者が)比較していたのではないかと気がついた。そして、2018年平昌五輪のSPの演技も思い出した。今の自分ができる技術や表現に集中し、冷静に滑りきった演技。透明感さえ感じるようなその演技は、見ている側が自分の感情をどのようにでも映し出せるような演技だと感じた。そして今回、ミスのあとの演技も、それと同じだったのではないか、と。

2月14日には北京五輪の競技後初めてリンクに姿を現わした2月14日には北京五輪の競技後初めてリンクに姿を現わしたこの記事に関連する写真を見る

【上杉謙信と重なった生きざま】

 羽生の演技の魅力のひとつでもある、「ナマもの感」のおもしろさをあらためて感じる思いがした。彼は同じプログラムでも、その時の自分の感情や気持ちなどをそのまま映し出すような演技をする。そして、見る側もまた、その時の感情そのままに彼の演技に引き込まれている。まさに彼の言う一期一会の演技だった、と。

 続いて、フリーの演技についてはこう答えた。

「サルコージャンプでミスをしたのは悔しいですし、できれば4回転アクセルも降りたかったと正直思いますけど、何か、上杉謙信(※フリー曲『天と地と』は戦国武将・上杉謙信の半生を描いたNHK大河ドラマの楽曲)というか、自分が目指していた『天と地と』の物語というか、自分の生きざまというか。それにふさわしい演技だったんじゃないかなと思うんです。

 冷静に考えたとしても、得点は伸びないですけどね。どうやったとしても『シリアス・エラー』(※転倒や中断などのミスがあった場合、演技構成点の上限値が設定される)というものが存在していて、そのルールにのっとるとやはりPCS(演技構成点)は出ないので。どんなに表現がうまくても、どんなに世界観を表現したいと思っても、それが達成できたと自分のなかで思っても、上がらないのはわかっているので。冷静に考えれば悔しいことではあるかもしれないですけど、僕はあの演技をプログラムとして満足しています」

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