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「何が何だかわからず頭のなかが真っ白」と歓喜。荒川静香の金メダルは日本のフィギュアスケート人気に火をつけた

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

<冬季五輪名シーン>第4回
2006年トリノ五輪 フィギュアスケート・荒川静香

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いよいよ2月4日からスタートする北京五輪。開幕を前に、過去の冬季五輪で躍動した日本代表の姿を振り返ろう。あの名シーンをもう一度、プレイバック!

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トリノ五輪で金メダルを獲得し笑顔を見せる荒川静香トリノ五輪で金メダルを獲得し笑顔を見せる荒川静香この記事に関連する写真を見る


【重苦しい雰囲気を打破】

 金5銀1銅4のメダルを獲得し好成績だった1998年長野五輪から2002年ソルトレークシティ五輪は4位以下の入賞は微増したものの、銀1銅1という成績に後退した日本。2006年トリノ五輪(イタリア)はさらに厳しい状況になっていた。成績を見れば、掛け値なしにメダル可能な候補と言えるのは2種目だけだった。

 そのうちのひとりは、スピードスケート男子500mの加藤条治。前季の世界距離別選手権を制し、五輪シーズンも2005年11月に34秒30の世界記録を樹立。勢いに乗っていた。だが、大会4日目のレースでは、1回目の直前に他国のコーチと接触してブレードのエッジが欠けるアクシデントに見舞われ、1回目は11位。2回目で挽回したが6位にとどまった。

 そのあとの9日間も、メダル獲得はなく重苦しい雰囲気が続いた。そんななか、救世主となる結果を出したのがフィギュアスケート女子の荒川静香だった。獲得したのはフィギュアスケート日本初ともなる金メダルだった。

 日本スケート連盟の強化策として始めた全国有望新人発掘合宿の1期生として、1998年長野五輪に高校1年で出場した荒川は、予選とショートプログラム(SP)、フリーの順位点で総合順位が決定する採点法の「6.0システム」で行なわれた2004年世界選手権で優勝。現在のような採点方式に移行した2004−2005年シーズンはNHK杯でグランプリ(GP)シリーズ初勝利をあげ、GPファイナルは2位とトップレベルを維持していた。

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