浅田真央は現役時より力強くしなやかに。「スケートに愛を感じます」 (3ページ目)
そして、ショーの最後にはとっておきのナンバー『ピアノ協奏曲第2番』。思い出の衣装とともに、当時を彷彿とさせるステップで魅了するなど、浅田真央ファンならずとも、「あのときの場面」を思い起こしてぐっと胸にこみ上げるものがあるはずだ。
「選手を引退してから、試合のときのような緊張感や達成感はもう味わえないのかなと思っていたんですけど、このサンクスツアーを通じて、日々、緊張感だったり、やりがいだったりは常に感じていました。それだけではなくて、選手の時には感じられなかったようなスケートに対する愛というのが強くなったので、サンクスツアーを始めてから、スケートを心から愛することができましたし、楽しく滑ることができました」
サンクスツアーを始めた当初は「どこまで続く旅になるかわからない。できるだけこの旅をみんなと続けたい」と思っていた真央さんだったが、その旅もついに終わりを迎えることになった。
「今年に入ってから、最後は横浜アリーナで終わろうと決定しました。本当はできるだけ長く滑っていたいと思っていたんですけども、徐々に終わりが見えてきて、今日が最後と決まった時は、ちょっとやっぱり寂しい気持ちもあったんですけども、でも、まず決められた千秋楽まで全力で滑っていこうという気持ちになれたので、いまはとにかく全力の滑りをお届けして、このサンクスツアーを楽しんでもらいたい気持ちが強いです」
5歳でスケートを始め、「スケートすべてが自分の人生」と語るその競技生活は26歳まで続いた。国民的アイドルとして注目される中、生真面目にフィギュアスケートに取り組んだ不屈の精神の持ち主は、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳び続けて自身の代名詞にまでした。天才少女「真央ちゃん」は成長して真央さんになっても、多くの人から愛された。その意志の強さと粘り強さで、「浅田真央サンクスツアー」もやり遂げたに違いない。
始まりがあれば、終わりがある。今後については、次のように語った。
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