【髙橋大輔の軌跡】バンクーバー五輪までの険しい「道」で得たもの

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by JMPA

12月特集 アスリート、現役続行と引退の波間(15)
スケーター・髙橋大輔の軌跡 part3

 今年、引退を発表したフィギュアスケーター・髙橋大輔。その足跡を辿る──。
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 2008年10月、髙橋は練習中にケガをして、右足の前十字靱帯と半月板の損傷という重傷を負った。「このケガをして、手術後に復帰したフィギュアスケート選手は過去にいない」ということも聞かされたという。それでも髙橋は、手術を決意した。手術をしないで、だましだまし競技を続けることも可能かもしれない。だが、それでは世界の頂点は狙えない。一か八か勝負をすべき、と考えたのだ。

 ただし、手術をすることは、五輪イヤーの前年である08-09シーズンを棒に振ることを意味していた。髙橋はその覚悟をして手術に踏み切り、復帰を目指したリハビリの日々が始まった。足の筋肉を奥の方からほぐし、しっかり動かせるようにするところから始めたが、痛みは体を突き刺すように激しい。1日8~9時間のリハビリが毎日続いた。

 そんな辛い日々に悲鳴をあげたのは、体ではなく心の方だった。髙橋は年が開けた09年2月のある日、気持ちがスッと切れてしまい病院へ行くのをやめた。2010年2月のバンクーバー五輪開幕は1年後に迫っていた。

 それから約1週間、髙橋は誰とも連絡をとらなかった。ある時は「目的もなくフラッと新幹線に乗り、適当な駅で下りて時間を潰して戻ってきたこともあった」(髙橋)という。自分は氷の上で滑ることもできない。それなのに、時間は待ってくれない。情けない行動に自己嫌悪を感じながらも、次のために動き出すことができなかった。

 長光歌子コーチは、ずっと連絡が取れなかった髙橋がフラッと自分の家に来た時、「もうこれ以上あの子を追い詰めるのはかわいそうだ。自分が周りの関係者に謝るだけ謝って、彼をもうスケートから解放させてあげよう」と思ったという。

 そんな長光コーチや担当医師、マネージャーやトレーナーなど、周囲の心遣いを感じた髙橋は、自分の心に問いかけてみた。「お前はもう、スケートをやりたくないのか?」と――。そこで気がついたのは、自分が「まだスケートを捨てたくない」と思っていることだった。

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