【髙橋大輔の軌跡】2005年、日本男子フィギュアのエースが泣いていた
12月特集 アスリート、現役続行と引退の波間 (10)
スケーター・髙橋大輔の軌跡 part1
2014年2月のソチ五輪の後、3月の世界選手権出場を辞退した髙橋大輔は、1年間の競技休養を表明した。そして2014年10月、現役引退を発表――。
ソチ五輪では6位だった髙橋大輔 ソチ五輪のフリーが競技者・髙橋大輔としての最後の舞台となり、日本男子フィギュア界の道を切り開いてきた第一人者は、その戦いに静かに幕を引いた。
日本フィギュアスケートの歴史にいくつもの"初"という文字を刻んだ髙橋大輔。日本男子初の五輪銅メダル(2010年バンクーバー五輪)、世界選手権優勝(2010年)、グランプリファイナル優勝(2012年)など、数え上げればきりがない。その最初の「初」が、初出場した2002年世界ジュニア選手権での日本男子として初となる優勝だった。
当時の男子フィギュアスケートは、02年ソルトレークシティ五輪で4位になった本田武史の実力が突出していた時代。サルコウとトーループの2種類の4回転ジャンプを跳び、世界選手権で02年から2年連続で銅メダルを獲得した本田は、髙橋にとって追いかけるには遠過ぎる存在だった。
髙橋は、シニアに移行した02‐03年は、全日本選手権4位で四大陸選手権代表に抜擢されたが13位。本田がケガで休養した03‐04年には全日本では3位になり、四大陸選手権上位選手として世界選手権に出場して11位。シニアの厚い壁に跳ね返された。
一方、女子フィギュアスケートでは、世界選手権2年連続3位(02年、03年)の村主章枝や、04年世界選手権優勝の荒川静香に加え、女子で史上初の4回転サルコウを成功させた当時15歳の安藤美姫の登場で一気に注目を集め始めた頃だった。しかし、男子の注目度は上がらず、髙橋自身は苦戦続きだった。
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