【プロレス】新生UWFの解散後、藤原喜明に舞い込んだ新団体設立のオファー「船木誠勝と鈴木みのるを引っ張れ」 (2ページ目)
【解散までのゴタゴタに「呆れたよ」】
前田とフロントの対立が表面化した大阪城ホール大会の前後にも、会議は複数回あったというが、「俺は面倒くさかったし、会議なんか行ってないんだよ。また始まったかって感じだったな」と振り返る。前田から相談されることはなかったのだろうか。
「記憶にないからな......たぶん、相談はなかったんじゃないかな。俺は(フロントに対して)不信感も何もなかったよ」
一時的に選手が一致団結をした松本市の大会では、藤原も最後にリングに上がった。大会後には、選手全員が出席した記者会見にも臨み、前田の隣に座った。あの行動は、前田サイドを支持したことの表われだったのだろうか。
「あいつらが『ここに座ってください』っていうから座っただけだよ(苦笑)。リングに上がったのも、選手がそろってリングに集まるっていうから仕方なくで、内心では『しょうがねぇな』って。あの松本では『好きなようにやれよ』って気持ちだったし、あいつらと行動を共にしようっていう感じじゃなかった。『どうだっていい』ってのが本心だったな」
年明けに前田の自宅で行なわれた会議には、藤原は出席しなかった。会議の内容については、出席した複数の選手がさまざまな証言をしているが、藤原はその内容を一切知らないという。
「俺は、この業界のゴタゴタにほとほと嫌気がさしていたし、あの解散にも呆れたよ。当時は、『これでプロレスをやめることになったって、調理師でも何でもいろんな仕事ができるし......』って思ってたな」
そんな藤原に、ある人物から連絡が入った。1976年に大手メガネ販売チェーン「メガネスーパー」を創業し、1990年秋にプロレス団体「SWS」を旗揚げしたばかりの田中八郎だった。
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