【ボクシング】井上尚弥戦の勝利へ、中谷潤人が書き記すノートを一部公開 名王者が苦しんだメガ・ファイト前でも「ブレない」 (2ページ目)
一進一退の攻防が続くなか、序盤にポイントを重ねたハーンズが、終盤、やや逃げのボクシングを見せる。劣勢に立たされていたレナードは、そんなヒットマンのわずかな心の隙を突き、第13ラウンドにワンツーをヒットさせたあと、至近距離から30数発の高速連打を見舞った。嵐のようなコンビネーションに、ハーンズは堪らずエプロンから躰を出して腰から崩れ落ちる。続く14ラウンドにレナードが再びラッシュをかけると、ヒットマンのダメージを考慮したレフェリーは試合終了を宣言した。
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とはいえ、13ラウンドまでのポイントは、125-122、125-121、124-122と3人のジャッジがハーンズ優勢と採点するほど、緊迫したシーソーゲームだった。
ハーンズを手塩にかけて育てたトレーナーであるエマニュエル・スチュワードは、レナード戦の敗因を、「ビッグマッチということで、必要以上に力が入ってオーバーワークになってしまいました。当時のトミーはウエルター級のリミットである147パウンドがベスト・ウエイトだったのに、145パウンドまで落としてしまったのです」と振り返った。ハーンズ自身は、「ケアレスミスだった。『勝った』と思って、集中力を欠いてしまった。すぐにリターンマッチを闘いたかった」と苦笑いを浮かべて述懐した。
【中谷自身が語る、名王者たちとの違い】
2000年12月2日、同じくラスベガスが会場となったWBA/IBF統一スーパーウエルター級タイトルマッチも、38戦全勝31KOのWBAチャンプ、フェリックス・トリニダード(当時27歳)と、20戦全勝18KOのIBF王者、フェルナンド・バルガス(同22歳)が火花を散らした。
トリニダードはこの前年の9月、バルセロナ五輪(1992年)の金メダリストとして颯爽とプロ入りしたオスカー・デラホーヤとのウエルター級王座統一戦で勝利し、半年後に階級を上げると即、WBA王座を獲得。スーパーウエルター級での3戦目として、怖いもの知らずの若獅子を迎えた。
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