【ボクシング】中谷潤人が、井上尚弥戦に向けたLAキャンプをスタート "アメリカのおじいちゃん"の死が「闘うひとつの意味になった」 (2ページ目)
マスボクシング中の中谷(右)この記事に関連する写真を見る
かねてから噂されていた"モンスター"井上尚弥への挑戦が正式に発表されたのは、3月6日のことだ。中谷は記者会見場で井上と握手を交わし、肩を並べて雛壇に座った。
モンスターは、前哨戦となった2025年12月27日の中谷のファイトについて「あの対戦相手に、あの内容というのはすごく評価できる。またひとつ、中谷潤人というボクサーを強くした試合だと思うので、気を引き締めて5月2日まで過ごしたい」と話した。
中谷はLAで、井上の発言について語った。
「試合に向かう井上選手の気持ちが滲み出ているように感じられました。この戦いに向けてしっかり仕上げてくるだろうなと。『ついに来たんだ』とスイッチが入りましたよ。お互い、ベストな状態でぶつかり合いたいですね。今まで積み重ねてきたすべてを出しきるべき一戦です」
【15歳からのアメリカ生活を支えてくれた恩人に「いい報告を」】
中谷には、闘うことへのモチベーションをさらに上げる大きな出来事があった。現地時間2月28日、15歳だった中谷が単身で渡米した頃から面倒を見てくれたロドルフォ・エルナンデスが永眠したのだ。中谷のトレーナーであるルディ・エルナンデスの実父である。享年93。
熱のこもった指導を行なうルディ(左)。その父も中谷を支えたこの記事に関連する写真を見る
1933年1月27日生まれのロドルフォは17歳の時、アメリカ合衆国陸軍への入隊を希望してメキシコ・グアダラハラから北へ向かい、国境を越えた。しかし、米国籍を持たない隣国の人間は軍に入れなかった。ロドルフォは3年近くネイティブアメリカン居留地で暮らした後、LAのサウスセントラルに引っ越し、靴職人として生計を立てる。やがてルディや、後にスーパーフェザー級で2度世界王座に就くジェナロを含む5人の子供が誕生した。
中谷はルディの生家にホームステイしながら、プロボクサーとして生き抜く技術とメンタルを養っていくが、言葉も通じない15歳を陰で支えた人こそロドルフォだった。
移民であるロドルフォもまた、英語を話せず、生涯スペイン語だけで生活した。が、いつも底抜けの明るさで中谷を励ました。中谷も「グランパ(おじいちゃん)」と呼び、慕った。糖尿病に悩まされ、2024年初頭には左足を切断していた。
「言葉が通じなくてもダンスを見せて陽気に振る舞いながら、常に僕を気にかけてくれました。15の頃からずっとです。本当に感謝の気持ちでいっぱいですね。彼の存在があったからこそ、不自由なくボクシングに打ち込めました。"おじいちゃん"がいなければ、これまでの経験は、得られなかったと思います。僕をアメリカ社会に馴染ませてくれました。
5月の試合には、ルディが『グランパを連れてくるかも』と言っていたんですが......。こちらもそれを思い描いていました。亡くなってしまいましたが、いい報告をしたいです。それがまた、モチベーションになっています。闘うひとつの意味になったなと」
【若きホープたちとスパー】
井上尚弥戦に向けたLAキャンプ初日は、12ラウンドのマスボクシングをこなした。いつになく、ルディの指導が細かい。足の位置、パンチを出す際のアングル、ガードの高さと、長年コンビを組むコーチは何度も「ストップ」とタイマーを止めてリングに入り、身振り手振りで中谷にモンスター対策を施した。
第二の故郷で、大一番を見据えてスタートを切った日、中谷は語った。
「今回のキャンプでは、できることと、できないことが見えてくるでしょうから、可能なことをしっかり伸ばして武器にしていければ。ひとつひとつ確かめながら、やっていきます」
2日目は12ラウンド、連続シャドーボクシングのメニューをこなした。この日は気温が35度になり、夏の日差しがジムの窓から降り注いでいた。トレーニングを終えた中谷は、汗を拭いながら「井上選手の動きを想定しています。イメージして、どういう動きが当てはまっていくかを意識しながらやっています」と振り返り、溌剌(はつらつ)とした表情を見せた。
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