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【プロレス】藤原喜明が振り返る、佐山サトルや前田日明らとのスパーリング 新日本の道場にきた道場破りには「すべて勝った」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【佐山サトルの「素晴らしい試合」】

 1981年4月23日、蔵前国技館でのダイナマイト・キッド戦でタイガーマスクになり、日本中のファンを虜にした佐山が新日本に入門したのは、1975年7月。プロレスに"強さ"を追求した佐山は、道場で藤原の本物の技術を体感し、毎日スパーリングを願い出た。

「とにかくスタートは、こっちが上に乗っかってグシャグシャにやるんだ。向こうは極められないように必死になる。そうなると、『こういう時は、どうするんですか?』って聞いてくるんだ。

 俺も相手があまりにも弱いとつまらないから、聞かれたら『俺だったらこうするよ』ってちょこっと教えるんだ。最初から教えても、幼稚園児に大学の講義をするようなもんだからわかんないだろ。それで教えてやると、俺が予想する通りに相手が動いたりするんだよ。その時に、どういうふうに"料理"したらいいかを考えてたんだ」

 佐山は、道場の練習に加えてキックの技術を学ぶために、空手家の黒崎健時が主宰するキックボクシングの目白ジムに入門する。その熱意を認めたアントニオ猪木は、佐山に「お前を格闘技部門の第一号にする」と指名。1977年11月14日に日本武道館で行なわれた「格闘技大戦争」で、アメリカ人キックボクサーのマーク・コステロと対戦させた。

 試合は2分6ラウンドのキックボクシングルールだったが、19歳の佐山は判定で敗れた。この試合を武道館で見守った藤原は、その試合を称賛した。

「あれは素晴らしい試合だったよ。だってよ、あの時の佐山は、黒崎さんのところに入ってからたった半年ぐらいだったんだ。なのに、あそこまで闘ったから立派も立派だよ」

 試合後には、敗れた佐山に対して批判を口にした者もいた。

「負けた佐山になんだかんだ言ったヤツがいたらしいけどな。何も知らねぇやつは何でも言えるんだよ。とにかく、佐山は素晴らしかった。逆に、恥をかいたのはコステロだよ。自分のルールでやったわけだから、本来なら1ラウンドでやっつけないと名が廃る。絶対に佐山をほめるべきだ。試合終わった後にも、アイツには『よかったぞ』って言ったよ」

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