検索

【女子プロレス】長与千種の「赤」を背負う暁千華が振り返る壮絶プロテスト Sareeeとのデビュー戦は「感情が出せなかった」 (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

 2年生の冬、暁はマーベラスに電話をかけ、履歴書を送った。長与の団体ならば練習は厳しく、プロ意識も高いはず。そう確信していたからだ。「厳しい団体に行きたかった」という理由は、里村が15歳でGAEA JAPANに入門した動機と重なる。

 マーベラスを選んだ理由は、もうひとつある。2021年6月のGAEAISMを配信で見たからだ。メインイベントの6人タッグマッチ終盤、橋本千紘と桃野美桜の一騎打ちになる。身長148cmの桃野が、大柄な橋本に何度倒されても立ち向かっていく。その表情に心を打たれ、思わず涙がこぼれた。

 履歴書を送ったあと、暁は母とふたりで石川から上京し、マーベラス道場を訪ねた。プロレスラーになるにはどんなトレーニングをすればいいか、丁寧に教えてもらった。運動は決して得意ではなかったが、部活終わりにジムに通い、与えられたメニューを黙々とこなすようになった。

 そんななか、2024年1月1日、能登半島地震が発生した。暁の住む加賀市は県の最南端だったが、それでも震度5強の大きな揺れに襲われた。3月にはマーベラスに入門するため石川を離れることが決まっており、故郷に対して後ろ髪を引かれる思いがあったという。

「石川はまだグチャグチャな状態で、テレビでもそういう映像ばっかり流れている時期でした。そんななかで東京に行くからには、絶対にプロレスで成功して、いつか石川でプロレスをやりたいという思いがありました」

【プロテストで急きょ始まった、彩羽との一騎打ち】

 マーベラス入門時、暁の体重は78kgだった。先輩たちに「体を大きくしたの?」と聞かれたが、実際には食べすぎで増えただけだったという。そこからデビューまでに15kgの減量に成功した。

 入門当初は腕立て伏せもできず、スクワットは70回が限界。前転、後転はできても、倒立前転はできなかった。できないことがあると悔しく、同じ指摘をされるのが嫌で、自主練を重ねた。負けず嫌いなタイプではなかったが、入門後にその気質が芽生えていく。

 先輩たちの指導は厳しい。特に桃野の言葉は、いつも核心を突いてくる。練習中、暁は桃野にこう告げられたことがあるという。「体重移動が下手くそ。デカいのに軽い。重心をひとつの場所にぎゅっと集める練習をしたほうがいい」――。

 その指摘は痛いほど的確だった。言われた瞬間、思うように動けない自分への悔しさと、「こんなに自分をちゃんと見てくれている」という感情が入り混じり、涙が込み上げてきた。暁はその言葉をバネにして、練習を積み重ねていった。

3 / 5

キーワード

このページのトップに戻る