【女子プロレス】長与千種の「赤」を背負う暁千華が振り返る壮絶プロテスト Sareeeとのデビュー戦は「感情が出せなかった」 (2ページ目)
両親はのびのび育ててくれるタイプで、暁が興味を持ったことを何でも応援してくれた。ピアノを習ったのも「やってみたい」のひと言から。温かい家庭で、彼女はゆっくり自分のペースを育てていった。
幼い頃、暁にはコンプレックスがあった。太っていたことだ。小学校3年生ごろから体型が変わり始め、運動が得意ではなかった彼女にとって、とりわけマラソン大会は憂鬱だった。いじめられたわけではないが、男子にからかわれることはよくあった。
プロレスとの出会いは9歳の夜だった。なかなか寝つけずにいると、女子プロレスファンの母が尾崎魔弓と下田美馬のシングルマッチを見せてくれた。下田のかかと落としで尾崎が大流血し、下田も尾崎のチェーン攻撃で血まみれになる。初めて見る"血だらけの女たち"に、暁は心を奪われた。
「劣等感ではないんですけど、やっぱり『お姉ちゃんすごいね』って言われ続けてきて。自分は飛び抜けたところもなく、何もかも中途半端で、太っていて......。だから、あんなふうに必死で闘う姿が、自分に響いたのかなと思います」
翌日からインターネットで全女について検索し、YouTubeの動画を見漁った。女子プロレスと出会ったことで、胸の奥で何かがゆっくりと動き出したのを感じた。
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中学に上がると、姉の影響で吹奏楽部に入部した。選んだ楽器はユーフォニアム。体よりも大きく感じるほどの重厚な楽器に惹かれ、「これを鳴らしてみたい」と思ったからだ。
3年生の時、「プロレスラーになりたい」という気持ちが芽生えた。長与は中学卒業後、すぐに全女に入門している。自分も高校へは行かず、プロレスラーになろう。そう考えたが、両親に「高校だけは行きなさい」と説得されて高校進学を決めた。
プロレスラーになるまでを振り返った暁 photo by Yuba Hayashiこの記事に関連する写真を見る
高校でも吹奏楽部に入部。普通科だった暁は、音楽大学を目指す芸術コースの部員たちのなかで埋もれていた。しかし2年生の時、彼女は部員の投票で部長に選ばれる。決してしっかり者というタイプではなかったが、部内で愛されていたのだろう。およそ50人の部員を束ねる日々のなかで、自然と責任感が備わっていった。
高校時代の愛読書は、『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(柳澤健/文藝春秋)。長与とライオネス飛鳥の内面や、その時代の変化を掘り下げたノンフィクションで、ロープに伸ばす手にまで宿るこだわりが克明に記されている。90年代の女子プロレスの"バチバチした感じ"が好きだった暁は、この本によって長与の思想に触れた。「プロレスってこういうことだったんだ!」と、プロレスの見方がガラリと変わったという。
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