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【証言・棚橋弘至】「タンクトップの場違いな奴がいる」 真壁刀義が明かす衝撃の初対面と前座で繰り広げた知られざる闘い (3ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

── 新日本の新弟子として、かなり特殊なタイプに映っていたでしょうね。

真壁 そういう意味で、新しい道を切り開いたよね。それまでオレたちはとにかくめちゃくちゃ練習をやって、食いたいものをたくさん食っての繰り返しで、それが正しいと思ってたから。でも彼は、筋肉に必要なプロテインやアミノ酸をたくさん摂っていたし、(ボディメイクに)不要な油なんかはカットしていた。そうして(棚橋なりの)プロレスラーとしての理想のボディをつくっていったよね。当時はケガもほとんどなかったし、太ももの筋肉もがっちりあって、腹筋も割れてたよな。何度あいつの腹筋で洗濯してやろうと思ったか(笑)。

── 洗濯板がわりに(笑)。

真壁 それぐらいいい身体をしていて、あとはどこまで体力が続くか、ハートがもつかという。注目度としては、同期に鈴木健三がいたし、ガッツや根性論、強さで言ったら柴田や井上のほうが一枚も二枚も抜けていてかなわないわけですから。ただね、これはすごく大事な話で、オレのなかでの理想のプロレスラー像と、棚橋の理想のプロレスラー像というのは、似て非なるものなんだけどすごく近かった。

【理想像が重なり合った前座での攻防】

── 近い部分もあった?

真壁 それは何かと言うと、オレと棚橋の前座の試合でのせめぎ合いというのは、腕を取ったり足を取ったりを繰り返すレスリングが主体で、それはおそらくほかの人間よりも秀でていて、その理想のプロレス像というものをお互いに持っていた。だからすごくかみ合って、その結果、G1最終戦の両国国技館での第1試合を、当時若手のオレと棚橋でやったりしましたから。

── ビッグマッチでの第1試合を任されていたわけですね。

真壁 両国のオープニングマッチを任されるというのはどういうことかわかるでしょ? 第2試合以降は先輩たちの「よっ、待ってました」っていう、お客が喜ぶような試合がバーッと続いて、最後にG1のメインがある。そんななかでの第1試合というのはものすごく重要で、ある意味で注目度も高いわけ。そこを任されるのは、やっぱりオレと棚橋だったんだよな。

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