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【格闘技】"クラッシャー"川尻達也が語る20年前の五味隆典戦「アイツだけは特別。今でもぶっ飛ばしたい(笑)」 (2ページ目)

  • 篠﨑貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro

【自身がファイトスタイルを変えた転機】

――川尻さんが戦っていた時と比べると、今のUFCのレベルはいかがですか?

「選手層の厚さも、契約に至る難しさもまったく別物です。あの時代のUFCは『ズッファ』が運営していて、僕の勝手な想像ですけど、社長のダナ・ホワイトは収集癖みたいな感覚で他団体のビッグネームを集めていたと思うんです。五味、KIDさん(山本"KID"徳郁)、(エメリヤーエンコ・)ヒョードル......。そんななかで、僕も運よく契約できた部分があると思います。

 でも、今は違う。『TKOグループ・ホールディングス』という上場企業の傘下に入って、完全にビジネスとして運営されている。ファイトマネーもシビアに管理されるし、趣味や気まぐれで選手を集める時代じゃなくなったんです」

――川尻さんのスタイルは、キャリアの途中で「ストライカー」から「グラップラー」へと大きく変わりました。どんなきっかけがあったんですか?

「きっかけは、DREAMでのエディ・アルバレス戦(2008年)です。それまでは、アゴを引いてパンチを見て、おでこで受けてれば効かないと思っていました。『俺は特別な人間なんだ』って(笑)。五味とやったときも、効いたのはボディで顔は全然効いていなかったし、意識も飛んでいない。だから『俺は打たれ強い』と思ってたんです。

 でも、アルバレスに思いっきり右アッパーをもらって記憶を飛ばされて、『あ、俺も普通に効く人間なんだ』って痛感しましたね。『この戦い方を続けたらキャリアがすぐ終わる』と。格闘技が大好きで長く続けたかったから、得意の"組み"を生かす戦い方にシフトすることを決めたんです」

――スタイルを変えるのは、相当な覚悟が必要だったのでは?

「足を止めて打ち合うのは、極端に言えば誰でもできることなんです。当時の僕は、アルバレスとムキになって打ち合ってしまった。でも、コナー・マクレガー(元UFC2階級王者)は『UFC 205』で、アルバレスの右フックをわずかに外してカウンターを合わせて勝ちました。『あれがプロの技術だ』と感じましたね。自分にはそこまでの打撃の才能はないと悟り、得意な組み技に比重を置いてリスクを減らす戦い方に切り替えました」

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