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【女子プロレス】スターライト・キッドは「素顔でデビューするつもりだった」 スターダムのマスクウーマンが語るデビューからの10年 (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――幼い頃から何かスポーツはやっていましたか?

キッド:小学校2年生から3年生、小学校6年生から中学校1年生の頃に少しだけダンスを習っていました。

――キッド選手はスポーツ万能のイメージがあります。

キッド:よく言われるんですよ(笑)。小学生の頃には、近所の児童施設にトランポリンやマットが置いてあって、勝手にプロレス技を練習していました。ムーンサルトという名前は知らなかったんですけど、「ダイビング〇〇!」とか言いながら、大きなマットの上に飛び込んで遊んでいましたね。その経験が、今のプロレスに生かされているんだと思います。

【運命が導いたスターダムへの道】

――どのような経緯でプロレスラーになったのですか?

キッド:2010年12月31日にNEOが解散したあと、試合は家にあるNEOのDVDを見ていました。実は昔、母はNEOの選手と交流があって。ある時、幼少期に会場で会ったことがあった宮崎有妃さんに、元NEOの選手が多く出場するスターダムの観戦に誘っていただいたんです。

 当時、SNSで宮崎さんをフォローしたら、「夏樹☆たいようが引退するから一緒に観に行かない?」とDMでのやり取りが始まりました。それが2014年6月1日のスターダム後楽園大会。初めてスターダムの試合を見たのですが、当時の私はNEOに出場していた選手は知っていたけど、スターダム生え抜きの選手が全然わからなかったんです。そこからいろいろ調べました。

 学生チケットが1000円だったので、「安い!」と思って、ひとりで後楽園ホールに観戦に行きました。それが2015年2月22日です。売店に(キッズファイターとして活躍していた)AZMが立っていて、「キッズもプロレスをやっているんだ」と驚きました。やりたいことを見つけられずにいた時期で、身体を動かすのは好きだったので「プロレスラーになりたい」と強く思いました。

――ご両親に反対されませんでしたか?

キッド:逆にとても応援してくれましたね。私がやりたいことを見つけたのがうれしかったんだと思います。すんなり履歴書を書いて送ってくれて。当時のスターダムは格闘技からスカウトで入門する選手が多かったので、履歴書が届くのは珍しかったようです。2、3月とひとりで後楽園に観戦に行き、4月の新木場大会ではスターダム7期生として売店に立っていました。

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