「中谷潤人には改善の余地がある」元世界ヘビー級王者・ウィザスプーンが語る井上尚弥戦の「勝利のカギ」とは? (3ページ目)
【自身と比べる中谷の境遇】
「ボクシングってさ、リングで人間性が出るものなんだ。お前の勧めもあって、ここ数年、ジュントの試合映像は欠かさず目にしてきたけれど、真面目な男だってことがよくわかる。ボクシングに懸けている様子もね。
だいたい、英語もろくに話せない15歳の少年が、サウスセントラルに住み始めたこと自体驚きだよ。俺が育ったエリアも犯罪ばかりのひでぇ場所だったけれど、『強いボクサーになるんだ!』という志を胸に飛び込んだんだろう。俺みたいにゲットーで生まれたのなら選択肢はないが、ジュントは自ら進んでそういう環境に身を置いたのさ。正直、『ワォ!』って叫んじまうぜ。
加えて、何本ベルトを獲っても、次、次、と立ち止まらないところがいい。常に走り続けているよな。心から尊敬する。ジュントは本物の男だよ。ぜひ、彼の望む所に辿り着いてほしい」インタビューに応じたウィザスプーン photo by Soichi Hayashi Sr.この記事に関連する写真を見る
ウィザスプーンの故郷、フィラデルフィアでは1776年にアメリカ合衆国独立宣言がなされ、今日、観光名所と化した「自由の鐘」が打ち鳴らされた。モダンな高層ビルと歴史を物語る奥ゆかしい建物が混在し、独特の趣がある。
こうしたアメリカ合衆国の主要都市では、繁栄の裏に貧困地域がある。ウィザスプーンも黒人貧民街の一角で育った。元世界ヘビー級チャンピオンが発した「ゲットー」での暮らしである。
3部屋しかない小さな借家で、両親と8人の子供が肌を寄せ合って生活した。父はトラックドライバー、母は心電図技師だった。「選択肢がなかった」とは、治安の悪い土地でサバイバルを余儀なくされたことを示す。第四子だったウィザスプーンは、ディフェンスに長けた選手だったため、45歳にして世界10傑に名を連ねたが、幼い頃から"セルフディフェンス"を覚えていたのかもしれない。
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