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日本ボクシング世界王者列伝:大橋秀行 『天才』の肩書きを凌駕する努力で残した拳の足跡と経営者としての手腕 (3ページ目)

  • 宮崎正博●文 text by Miyazaki Masahiro

【会長・経営者たらしめる愛用ゲームソフト】

経営者・会長としても手腕を発揮。井上尚弥(右)をはじめ多くの世界王者を輩出している photo by 山口フィニート裕朗/アフロ経営者・会長としても手腕を発揮。井上尚弥(右)をはじめ多くの世界王者を輩出している photo by 山口フィニート裕朗/アフロ

 崔から奪ったタイトルは8カ月後に失った。22度王座を防衛し、52戦不敗(51勝38KO1分)のまま引退する超難敵、リカルド・ロペス(メキシコ)の挑戦を敢然と受けて立ち、5ラウンドTKOに散ったのだった。それでもあきらめることなく、WBAチャンピオン、崔煕墉(韓国/チェ・ヒヨン)を判定で破り、2団体で世界タイトルを奪ったのはその2年後のことだった。

 1993年の現役引退から1年。大橋ボクシングジムを設立する。それから10年後の2004年、所属選手の川嶋勝重がWBC世界スーパーフライ級王座を獲得。以後、現在まで井上尚弥を含む男女7人の世界チャンピオンを育てる。現場を任せるトレーナーもじっくりと育て、横浜高校、ヨネクラジムの後輩に当たる松本好二、さらに大橋ジムで初の3階級制覇世界王者となった八重樫東をはじめ、すでに日本を代表するトレーナーを複数名育てた。ジムとしてしっかりとした枠組みを築いたことが、世界的なボクシングジム、プロモーションとしての成功につながった。

「『信長の野望』というシミュレーションゲームがあるでしょ。あれで学んだんですよ。天下統一を果たすため、まずは兵糧を積んで国を富まし、家臣を育て、信頼を勝ち取っていく。あのゲーム、ずいぶん、やりこみましたから」

 学ぶための術は、あらゆるところにある。下地をきちんと作っておけば、多少の失敗も未来の糧になる。大橋は自身のボクシングキャリアと、ジム経営の秘訣をそう語る。

PROFILE
おおはし・ひでゆき/1965年3月8日生まれ、神奈川県横浜市出身。中学生時、戦前からの歴史を刻む地元の協栄河合ジムに入門。横浜高校2年生でインターハイ・モスキート級(45キロ級)優勝。専修大学を2年で中退し、ヨネクラジムからプロに転向した。デビュー7戦目の1986年12月14日、韓国でWBC世界ライトフライ級王座に挑み、張正九にTKO負け。再戦でもTKOに屈したが、1990年2月7日、崔漸煥(韓国)を劇的KOに破ってWBC世界ミニマム級王座獲得。2度目の防衛戦でリカルド・ロペス(メキシコ)に王座は明け渡したものの、1992年10月14日に崔熙墉(韓国)に3-0判定勝ちでWBA同級王座獲得。初防衛戦でチャナ・ポーパオイン(タイ)に敗れたのを最後に引退。右のボクサーファイタータイプ。カウンターの切れ味はすさまじいばかりだった。24戦19勝(12KO)5敗。現在は大橋ボクシングジム会長として、驚異のスーパーチャンピオン、井上尚弥らをガイダンスする。

著者プロフィール

  • 宮崎正博

    宮崎正博 (みやざき・まさひろ)

    20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。

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