西村修と藤波辰爾「無我」を巡る問題の真相を元東スポ記者が明かす 西村だけが悪者になるのは「一方的な見方」 (3ページ目)
――脅迫じゃないですか!
柴田:おびえた友人が警察に相談したこともあって収まったたようだけど、今でも電話が鳴るとフラッシュバックするなど心に深い傷を負った。だから西村さんは口をつぐんだんです。友人を守るために、勝手に商標登録したと非難されても反論しなかったんですよ。
――そんな経緯があったんですね。
柴田:ただ、無我を退団する時に、団体の経営に携わっていた藤波さんのご家族を批判したのは、ちょっとやりすぎたかなと思いますね。本人は、そのご家族ではなく関係者を批判したつもりだったそうだけど、「それについては自分も若くて未熟だった」と反省してました。
そうそう、藤波さんと西村さんの溝が深まっていた時に、あるパーティーにふたりがいたことがあって。僕は藤波さんに「西村さんが謝りたいといっています。連れてきていいですか」とお願いしたことがあるんですが、藤波さんは「彼だけは......」と意外な返答でした。いつもにこやかで「いいよ」と言う方なので、驚いたのを覚えています。
【誰にでも誠実に接した西村修の生涯】
――西村さんはルックスもスタイルも整っていたため、モデルをやったことがあるそうですね。
柴田:東京の目黒にあるファッション専門学校「ドレスメーカー学院」のモデルですね。準備のために採寸したら、身長が186cmで、股下が93cmもあったんですよ。
――身体の半分が脚なんですね。
柴田:あらためて「やっぱりカッコイイんだな」と認識しました。西村さんはほかにもいろんなことやっています。東京の日比谷公園の百周年記念事業では、ベンチを寄付しました。公園のシンボルである噴水の真ん前のベストポジションに「無我・西村修」のプレート付きのベンチが置かれています。あとは、伊藤園の「俳句大賞」で入賞したこともありますね。
――どんな句だったんですか?
柴田:あるファンが、「お父さんに肩車してもらわないまま、亡くなっちゃった」と漏らしたのを聞いて、西村さんはその場で肩車をしてあげた。そのファンは感激していたけど、その時の思いを詠んだ句が俳句大賞で入選したんですよ。
その句は、「肩車 しても届かぬ 天の川」。それを見て思うというか......僕より若い西村さんが、先に天の川を渡ってしまったのは悲しいですね。
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