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日本ボクシング世界王者列伝:具志堅用高 「革命」を起こした沖縄初の王者「カンムリワシ」の記憶

  • 宮崎正博●文 text by Miyazaki Masahiro

具志堅用高は社会においてボクシングの地位を高める存在となった photo by Kyodo News具志堅用高は社会においてボクシングの地位を高める存在となった photo by Kyodo News

井上尚弥・中谷潤人へとつながる日本リングのDNA01:具志堅用高

 日本に本格的なボクシングジムができてから103年。長い歴史には、『句読点』と呼べる地点がいくつもあった。1952年に白井義男が初めて日本に世界のチャンピオンシップをもたらしたのはもちろん、今、世界中にセンセーションを巻き起こしている井上尚弥の台頭もまた、そうなのだろう。そして、具志堅用高が世界の頂点(WBA世界ライトフライ級)に立った半世紀前の快挙も、この国のプロボクシングにとって、きわめてエポックメイキングな出来事だった。

【天才の開眼は経験だけで呼び込むものではない】

「これでプロ9戦目か!」

 多くのファン、関係者にとって、プロキャリアわずか9戦目の挑戦者・具志堅が見せるボクシングは衝撃だった。来日以来、スパーリングパートナーをとっかえひっかえダウンさせた強打のチャンピオン、ファン・グスマン(ドミニカ共和国)に対し、まるで臆することはない。サウスポースタンスから鋭い動きに乗せて打ち放つパンチが次々にヒットした。一打の威力もハッとさせられたが、なめらかなコンビネーションブローがもっとすばらしかった。

 1976年10月10日、山梨学院大学体育館で行なわれた、ライトフライ級(当時の呼称はジュニアフライ級)のWBA(世界ボクシング協会)世界タイトルマッチ。当時の世界戦は15回戦制で各ラウンド間1分の休憩を合算すればジャスト1時間の長丁場だったのだが、試合はいきなりスパークする。

 2ラウンド、具志堅はグスマンから2度のダウンを奪う。ゴング間際のダウンはレフェリーがなぜかカウントを取らなかったが、会場はすでに熱狂の渦に包まれた。

 続く3ラウンド、左フックを被弾して大きく腰を落とすも、4ラウンドにもまた倒す。フィニッシュは7ラウンド、右ジャブ2発を起点に、右アッパーカットをとどめに置いた5つのパンチをつなぐ。そのすべてが対戦者のアゴを貫いて、グスマンは長々とマットに寝そべってしまう。完璧なフィナーレだった。

 それまで熱心なボクシングファンを除けば、その名を誰も知らなかった21歳は、一夜にしてヒーローになった。そして日本のボクシング界の革命児となった。

 沖縄県出身者として初の世界チャンピオンである。また、日本から生まれた15人目の世界チャンピオンにして、初めて不敗のまま世界の頂上にたどり着いた。

 日本では、伝統的にアマチュアの経験は軽視され、プロのたたき上げに本物の強さが宿ると信じられてきた。つらい敗北、厳しい戦歴の果てにこそ、本物の栄光はあると考えるのが常識とされていた。

 具志堅は、すべてが違った。経験はない。ベテランのけれん味もない。それでも、才能にあふれ、なおかつチャンスがあったなら、貪欲に世界のトップを目指して成功を勝ち取ることができる。それも大器開眼の手段だと、ファン、関係者に初めて気づかせたのだ。

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著者プロフィール

  • 宮崎正博

    宮崎正博 (みやざき・まさひろ)

    20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。

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