検索

佐竹雅昭が語るK-1の原点、ニールセン戦の1ラウンドKO 頭突きには批判も「果たし合いに反則も何もない」

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

空手家・佐竹雅昭が語る「K-1」と格闘家人生 第6回

(第5回:K-1へとつながる異種格闘技戦 ニールセン戦を前に「前歯を4本抜いてください」>>)

 現在の格闘技人気につながるブームの礎を作った「K-1」。その成功は佐竹雅昭を抜きには語れない。1980年代後半から空手家として活躍し、さらにキックボクシングに挑戦して勝利するなど、「K-1」への道を切り開いた。

 59歳となった現在も、空手家としてさまざまな指導、講演など精力的に活動にする佐竹氏。その空手家としての人生、「K-1」の熱狂を振り返る連載の第6回は、衝撃のKO決着となったドン中矢ニールセン戦を振り返った。

1990年6月30日、ニールセン(左)を攻める佐竹 photo by 東京スポーツ新聞社1990年6月30日、ニールセン(左)を攻める佐竹 photo by 東京スポーツ新聞社この記事に関連する写真を見る

【空手家たちの応援が重圧に】

 1990年6月30日、日本武道館。キックボクサーのドン中矢ニールセンとの決戦に向け、佐竹は控室の扉を開けて花道に出た。高い武道館の天井まで轟く、満員の観衆による大歓声に武者震いを覚えた。

「プロとしての初めての試合ですから、入場時は『やってやるぞ!』と緊張して硬くなっているわけです。そんな状態で、初めて花道から武道館の客席を見ました。『ウォー!』と地鳴りのような歓声が僕に注がれて、まるで自分が『あしたのジョー』でホセ・メンドーサ戦に向かう矢吹丈になったような気分でしたね。

 客席には正道会館の仲間はもちろん、ケンカしていた他流派の空手家も流派など関係なしに『佐竹! 空手のために勝ってくれ!』と叫んでいました。こっちは、明日から食べていくために、自分が生きるためにニールセンと戦おうと思っていたのに、『空手のために!』という声が耳に入ってきて......責任と重圧という名の大きな石が、背中にどんどん積まれていくような感じでしたよ」

 そんなプレッシャーを抱えたなかで、ついにニールセンと対峙した。

「こっちは決死の思いでいたのに、ニールセンはニタニタ笑って『OK、OK。なんでも来いよ』みたいなことをささやいていたんです。その顔を見たら、『この野郎、ナメ腐りやがって!』と闘志が沸騰しました。レフェリーチェックでニールセンが近づいてきて目を合わせてきたから、こっちも睨み返しました。心の中で『こいつに勝たないと明日がない』と繰り返していましたが、緊張と興奮で意識が飛びそうな状態でしたね」

1 / 3

【写真】女優・ラウンドガール・格闘家の「三刀流」 宮原華音フォトギャラリー

キーワード

このページのトップに戻る