佐竹雅昭が語るK-1の原点、ニールセン戦の1ラウンドKO 頭突きには批判も「果たし合いに反則も何もない」 (3ページ目)
【頭突きへの批判も「まったく気にならなかった」】
試合後、ニールセン陣営が反則の「頭突き」を理由に、主催者に対してKOを無効とする要求を行なった。結果、レフェリーが注意、減点をしているため問題なし、という見解が出されたが、一部のマスコミ、ファンから批判を浴びた。
「周囲の批判は、まったく気になりませんでした。僕は、ニールセンと"果たし合い"をしたと思っていたので。格闘技はスポーツじゃない。相手を殴って倒すケンカなんです。だから自分は、スポーツマンでもない。その哲学は、今もブレていません。
スポーツの観点に立てば頭突きは反則ですけど、『果たし合いに反則も何もないでしょ』と思っていました。中山師範に控室で『パチキ』とささやかれたこともありますが、頭突きは空手家にとって一番の有効技。決して、きれいなやり方ではないですけどね」
ただ、あの瞬間の「頭突き」は計算したものではなかったという。
「ただただ無心の"素の佐竹"でした。だから、『いざという時に、自分は頭突きをするのか』と、自分の知らない獣の本性のようなものにも気づきましたね。何が何でも負けるわけにはいかない。試合で負けてもケンカでは負けられないという思いが、極限まで高まって出たものだと思います」
物議は醸したが、空手家にとって圧倒的に不利なキックボクシングルールで、ニールセンを1ラウンドKO。佐竹は時代の寵児となった。身長187cm・体重100kgという体格はボクシング界にもいない。格闘技ファンが待望していた世界に通じる日本人ヘビー級のファイターの誕生だった。
ニールセン戦が導火線となり、3年後の1993年には、ヘビー級で立ち技世界最強を争う「K-1」が始まった。
「あそこで自分が負けていたら、後の格闘技ブームは起きていなかったでしょうね。おそらく前田日明さんの天下でしょう。そうなると、アントニオ猪木さんなども介入してきて、また1980年代のようなプロレス王国が築かれたはずです」
時代の先頭に立った佐竹に、あらたな敵が用意された。相手は、極真空手の"熊殺し"ウィリー・ウイリアムスだった。
(第7回:「熊殺し」ウィリー・ウィリアムス戦と前田日明「リングス」参戦までの激動の日々>>)
【プロフィール】
佐竹雅昭(さたけ・まさあき)
1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。
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