日本ボクシング世界王者列伝:具志堅用高 「革命」を起こした沖縄初の王者「カンムリワシ」の記憶 (2ページ目)
【ボクシング版"虎の穴"で過ごした高校の3年間】
シンデレラストーリーの主は、最果ての島からやってきた。沖縄本島から海路で半日近くかかる南西海上に具志堅の故郷、石垣島は浮かぶ。
15歳の時、沖縄本島にある興南高校で学ぶために那覇にやってきたが、新しい環境になかなか馴染めなかった。同じウチナーグチ(沖縄の言葉)でも石垣と那覇とではずいぶんと違っていた。さんざんにからかわれたという。体が小さいからと希望の野球部にも入れなかった。具志堅は希望の行き先を見失いかけていた。
助け舟を出したのは、郷里の先輩だった。「下宿代はタダでいい」と誘われた。若松湯という銭湯だ。実は、ここが沖縄版の"ボクシング虎の穴"だった。経営者の上原勝栄は空手家ながらボクシングにのめり込み、実の弟、康恒をのちに世界チャンピオンにしている(1980年にWBA世界スーパーフェザー級王座獲得)。上原家が具志堅少年に"ロハ"で飯を食べさせる条件はふたつ。銭湯の手伝い。それからボクシングをやって、途中で決して投げ出さないことだった。
貧しい漁師の子、具志堅少年に金銭的な余裕はない。やらなければ、郷里に帰ってカツオ漁船に乗るしか選択肢はなかった。過酷な日々が始まる。学校のボクシング部で絞られ、客がはねた銭湯でまたグローブをつける。そして努力は実る。3年生時にはインターハイの45㎏以下、モスキート級で全国制覇を成し遂げた。
どこまでも攻撃的なサウスポーを獲得しようとプロ、大学ともどものスカウト合戦になったが、プロ側の名門ジム、協栄ジムが契約を勝ち取る。具志堅は栄光の進軍を開始した。
2 / 3