WWE殿堂入りの「極悪同盟」ブル中野の波乱の人生「いまだ熱心なファンも多い」元東スポの柴田惣一が語る (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【WWE殿堂入り、ブル中野の魅力】

――ちなみに当時、海外で有名だった日本の女子プロレスラーは誰でしたか?

柴田:今ではASUKAやイヨ・スカイ、カイリ、Sareee、ジュリアなどが有名でしょうけど、WWEの殿堂入りを果たしたブル中野ですかね。メキシコでは、北斗晶が覆面レスラーとして活躍した「レイナ・フブキ」もそうでしたが。

 ブルは1994年11月、日本人で初めてWWE女子王座を獲得しました。当時はニューヨークの五番街に住んでいました。日本人がよく使う「キタノホテル」の近くにあったすごいマンションで、アメリカ国内を飛行機で飛び回る生活だったようです。

――アメリカに渡ってからも大忙しだったんですね。

柴田:ただ、日本食が恋しくて、当時ニューヨークにいた新崎人生や西村修、全女で人気があった山崎五紀などと週3回はみんなで集まって、鍋パーティーをしていたと。その頃は、日本の食材が少なく高額だったようですけど、肉や野菜を入れた鍋ならなんとかなりますから。ちなみに山崎は、ご主人とニューヨークに和食の「GO レストラン」をオープンさせました。人気店で、一時期は新日本の名レフェリー、タイガー服部の息子さんも働いていたそうですよ。

 ブルは1997年、左膝靭帯を2本断裂する大ケガを負って引退しました。その後は、プロゴルファーになるためにフロリダで修行したりしていましたね。2008年にはその夢も断念しましたが、WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラーという実績が認められて、特例でグリーンカード(永住許可証)も取得しました。

――帰国後、2011年には中野に「ガールズ婆バー・中野のぶるちゃん」をオープンしました。

柴田:中野はリーズナブルなお店が多いなかで、「レスラーの価値を高めたい」と、あえて高めの価格設定にしていましたね。それでもファンが押しかけた。後輩レスラーの、山田敏代や三田英津子、吉田万里子、脇澤美穂らも働いていました。お客さんがあまり来ない時も、彼女たちの給料は保証してキチンと支払っていたそうですよ。

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