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WWE殿堂入りの「極悪同盟」ブル中野の波乱の人生「いまだ熱心なファンも多い」元東スポの柴田惣一が語る (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【熱狂しすぎたファンへの"制裁"】

――全女のバスで思い出すのは、1985年8月28日に行なわれた大阪城ホール大会での長与千種vsダンプ松本の「敗者髪切りデスマッチ」。ダンプさんが勝利しましたが、試合後にファンが暴走して極悪同盟のバスを取り囲みました。

柴田:昔はファンが熱狂するあまり、暴走しちゃうことも多かったですね。特に入場の時はひどかった。ある試合で、アイドル歌手出身のミミ萩原が入場する際に、ファンがパニックになって囲まれてしまって。そこで興奮したファンが、萩原の水着の中に手を入れてきたそうなんです。セコンドが間に入って事なきを得たようですが、当時は問題になりました。

 萩原はアイドル時代のことを、「本当はジンジャーエールが好きなのに、ミルクと言わなければならないアイドルが窮屈だった」と振り返っていましたけど......プロレスに転向しても同じような状態というか、完全にアイドル化されていましたね。

――興奮状態のファンは怖いですね。

柴田:そういうことがあってから、若手選手が萩原を肩車して、騎馬戦のような感じで入場するようになったんです。若手の一番の仕事は、行きすぎたファンから人気選手を守ること。昔はフェンスもなかったですし、人気選手は揉みくちゃにされて前に進めなかった。だから入場の際には、セコンドが両脇を固めて、遮断機のように腕を上下させながらファンの手や接触を振り払っていました。もし触られてしまったら、試合後にたっぷり絞られたそうです。

――昔、私が全女の試合を観に行った時には、選手の着替えをのぞいたファンが"制裁"を受けていました。

柴田:昔は「のぞいたり、触ったりするファンが悪い」と、けっこう"制裁されていましたね。それは男子も同じでしたけど。

――若手選手に治療を受けるファンや、スクワットや腕立てをやらされている男性ファンを何度か目撃しました。

柴田:当時はリングサイドにも自由に近づけましたし、プロカメラマンじゃなくても写真を撮っているファンがたくさんいました。そのひとりが、ロッシー小川(現女子プロレス団体マリーゴールドの代表)。彼はもともとカメラ小僧で、全女のスタッフと顔見知りになり、「だったら、うちでカメラマンをやらないか?」と誘われてプロレス業界に入ったんです。

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