ケンコバが振り返る越中詩郎の「禁断の試合」 ザ・コブラのための大会で目撃したある異変 (5ページ目)
――確かにそうですね!
「ただ、あのザ・コブラ戦では、越中さんのバタバタにお客さんが乗っていったんです。テレビで見ていた俺も、どんどん越中さんに惹かれていきました。技の派手さではコブラに軍配が上がります。俺も『こんな高く飛べるのか!』などと驚きました。だけど、最初のドロップキック以降の技には、お客さんが反応しない。逆に、場外へのプランチャはありましたけど、ヒップアタックやエルボー、キチンシンクぐらいしかやらない越中さんに客席が沸き続ける、異常な試合になったんです。
結果は越中さんがジャーマンでザ・コブラを沈め、初代IWGPジュニア王者に"なってしまった"んです。会場はめちゃくちゃ沸きましたが、放送席はシーンと静まり返っていた。古舘さんもザ・コブラ側からの実況でしたし、解説の東スポ・桜井康雄さん、山本小鉄さんもザ・コブラのすごさを語りまくっていましたからね。特に小鉄さんは、おそらく"ジャイアント馬場チルドレン"のことはあんまり好きじゃなかったんでしょう。3カウントが入った瞬間、黙り込んでしまいました」
――そんな露骨だったんですね。
「静まり返る放送席に、中学生の俺は『素晴らしい試合だけど、越中はこれから冷遇されるんちゃうか』と思ったんですよ。しかも当時、越中さんはセコンドも少なくて、仕方なくクロネコさんがつくぐらい(笑)。あの時の新日本は、外様が内部に入るのは珍しいことでしたから、余計に冷遇を心配しました。
そうして、俺の中で越中さんの存在が大きくなったんですけど、その2年後、もうひとつの禁断の試合が行なわれたんです」
(後編:名レスラー馳浩の「一番ダメな試合」を救った越中詩郎の「震え」>>)
【プロフィール】
ケンドーコバヤシ
お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。
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