ケンコバが振り返る越中詩郎の「禁断の試合」 ザ・コブラのための大会で目撃したある異変 (3ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

――その試合は、新日本で新設されたIWGPジュニアヘビー級王者決定リーグ戦の王者決定戦ですね。9選手が参加したリーグ戦は「ニューイヤーダッシュ86」のシリーズ全戦で行なわれ、勝ち点上位2名が、最終戦の両国国技館で初代王者を争う形でした。

「このリーグ戦は、いわばザ・コブラのための大会でした。ザ・コブラは、佐山サトルさんの初代タイガーマスクが1983年8月に引退したあとで、スターの座を約束されたマスクマンだった。ところが、この連載でも語りましたが、同年11月3日に蔵前国技館での日本デビュー戦でデイビーボーイ・スミスの大暴走で水を差されてしまい、今ひとつブレイクしなかったんです。

 それを挽回しようと、新日本が団体をあげてザ・コブラをプッシュしまくる大会だったんですよ。言い方は悪いかもしれませんが、『ザ・コブラ大売り出し祭り』だったんです。そんななかで、ザ・コブラとともに得点上位でリーグ戦を勝ち残り、初代王者決定戦で対戦したのが越中さんでした」

――越中さんにとっては、外堀を埋められたような戦いですね。

「しかもゴングが鳴って早々、越中さんはとんでもない洗礼を浴びたんです」

――何があったんですか?

「これまで多くのプロレス考察本、プロレス雑誌では、何度も"ドロップキックの名手"が特集されてきました。その筆頭は、今の時代ならオカダ・カズチカ選手。オールドファンならばジャンボ鶴田さんでしょう。鶴田さんの、馬場さんの顔面へのドロップキックや、ディック・スレーターへの両手をバンザイした状態でのドロップキックを見て、えげつないほどの身体能力の高さに驚きました。

 あとは、ダグ・ファーナスの一回転ドロップキックも鮮烈でしたが......俺が思う一番すごいドロップキックの名手って、実はザ・コブラなんです」

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