井上尚弥戦の期待高まる中谷潤人 師とのLAキャンプで「次戦は拓真選手以上の内容で勝ちたい」 (3ページ目)

  • 林壮一●取材・文・撮影 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

 現在、主要4団体のバンタム級はそれぞれ日本人がベルトを巻いている。とはいえ、ほかの3名と中谷の実力には大きな差がある。アラムが関心を示すのもWBC王者のみだ。自身の価値をより多くの人に認知してもらうべく、ビッグマッチを切望する中谷は、一日も早くバンタム級王座を統一したいだろう。

 サラパット戦の前日には拓真も防衛戦を控えており、近くWBA/WBCの2冠戦が実現しそうだ。中谷は話した。

「サラパット選手は背が高く、独特のタイミングでパンチを打ってきますから、意識して練習しています。また、パンチを放つ時、逆のガードが下がるようなので狙っていきますよ。サウスポーとの対戦は4度目ですが、今は対応しなければならない部分を擦り合わせる作業です。サウスポーにヒットするパンチを数多くモノにしなければいけない。

 軌道、角度、タイミングなど多彩な攻撃を見せたいですね。オーソドックスと戦う時とは違う体の動きがありますから、背中が筋肉痛になったりしています(笑)。ロスでのキャンプも1週間がすぎて、だんだん体が慣れてきました。ようやく時差ボケも克服できましたね」

 中谷は大言壮語するタイプではないが、こう言いきった。

「サラパットには拓真選手以上の内容で、圧倒的な差を見せて勝ちたいと思っています」

【中谷を世界チャンピオンまで育てた師匠】

 筆者が中谷のキャンプを訪れた日、車椅子に座った老人がリングサイドから中谷のトレーニングを見詰めていた。中谷が15歳で単身渡米して以来、今日まで師事しているルディ・エルナンデスの父、ロドルフォである。今年の1月27日に91歳となったロドルフォは、年始に左足切断の手術を受けた。

 言葉はもちろん、右も左もわからないまま「世界チャンピオンになる」ことだけを夢見てルディの家でホームステイを始めた中谷を、ロドルフォいつも笑顔で支えた。

 1933年にメキシコ・グアダラハラで誕生したロドルフォは、祖国でプロサッカー選手となったが、長期契約は結べず、ルチャリブレ(プロレス)のリングに上がる。その後、米軍に入隊しようと1950年にアメリカ合衆国にやってきた。しかし、メキシコ人である彼に入隊は叶わず、靴職人として生活費を作り、3年後にLAのサウスセントラルに家を購入した。

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