井上尚弥戦の期待高まる中谷潤人 師とのLAキャンプで「次戦は拓真選手以上の内容で勝ちたい」 (5ページ目)

  • 林壮一●取材・文・撮影 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

 中谷は師から常々、そんな助言を受けてきた。

「ジュントがハッピーなら、私も嬉しい。それが一番大事なことだ」

 15歳の中谷を迎え入れ、3階級制覇の世界チャンピオンに育てたあとも、両者のスタンスは変わらない。

 中谷も、自身の歩みを回顧する。

「中学1年生でボクシングを始めた頃は、パンチを放つ際に力を溜めて、どれだけ強く一発一発を打つかを習いました。ルディはパンチの角度や足の向きなど、丁寧に細かくアドバイスしてくれ、『こういうパンチが当たる』という戦術面も指導してくれるんです。だから、その場その場での発見がありますね」

 中谷は中2、中3で出場したU15のジュニアボクシング大会で日本一となっている。だが、中3の夏に、自身を指導してくれた元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者、石井広三が急逝した。その悲しみを癒すため、また、自分が世界チャンピオンとなることが供養になると信じ、プロボクサーとして成功することを掲げて走ってきた。

「高校に進学してインターハイ王者を目指すことなど、回り道でしかない。すぐに本場でプロの練習がしたい。アメリカに行かせて下さい!」

 そう、両親を説き伏せての渡米だった。

 中谷がホームステイしたルディの家は、LAのサウスセントラルにある。1965年8月11日から6日間、すぐ近くのワッツで黒人たちによる暴動が起き、死亡者34名、負傷者1032名、およそ4000名の検挙者を出した。1970年代まで8割の住民が黒人だったこの場所は、現在、およそ3分の2がヒスパニックで埋められる。ギャングの抗争が絶えず、犯罪の温床として知られている。

 サウスセントラルで研鑽を積んだWBCバンタム級チャンプの技術、メンタルは決してブレない。中谷潤人は、今、まさに己の時代を築きつつある。

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