【パリオリンピック柔道】阿部一二三が貫いた己の道 妹・詩の敗退と東京五輪からの苦闘の末に掴んだ五輪2連覇 (2ページ目)
【「練習をやってもやっても、不安だった」】
阿部は決勝のリマ戦も終始圧倒した photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る 鈴木監督は、一二三が自身の柔道を貫き通したことを勝因に挙げた。
「やっぱり研究されている感じは、大会全体を通してありました。でもやっぱり最後の最後には、一二三の柔道に持っていける。いつも通りの勝ちパターンに持っていけるのは、その前の段階で自分の形を崩さず、気持ちの動揺もいっさい見えなかったからです。
技術的にも4分間の中での試合運びをしっかり考えて組み立てているし、対戦相手の研究もしっかりして十分頭のなかに入っている。そういうものを含めて、最終的には一二三の柔道をしっかり出す形が確立できていたなと思います」
阿部一二三の強さを存分に見せつけた五輪連覇。だが本人は、ここまでの道は厳しかったと振り返る。
「一番辛かったのは、練習です。やってもやっても、不安だったし、毎回試合に挑むために練習をしても不安な思いは消えない。『大丈夫かな? 強くなっているのかな?』とすごく思っていました。そういう怖さを感じ始めたのは、東京五輪で勝ったすぐの試合からですね。2022年の世界選手権もそうだったし、2023年も正直......。周りの方たちは勝ち続けているのを見て『いや、強いな。圧倒的だな』と思っていたかもしれないけど、自分のなかでは全然そんなことはなかった。東京が終わってからの2年間、ライバルと競ってこのパリ五輪という舞台を手にしたのも決して簡単な道ではなかったんです」
鈴木監督は、2004年アテネ五輪100kg超級で優勝したあと、2008年北京五輪は100㎏級で初戦敗退だった自分の過去を踏まえ、五輪連覇の難しさをこう説明する。
「五輪連覇に向けては、モチベーションづくりが重要。心を作ること、体を作ること、そして技術的にも進化をしなければいけない。自分には4年かけても無理だったということです。でも、一二三の場合はそれができている。
大きな要因は妹の存在もあるだろうし、自分自身のモチベーションをさらに高く持てるという柔道に対してのストイックさもあると思う。簡単に比べられるものではないけど、それが自分にはなかったが、一二三にはあったというところだと思います。もう『次も狙っている』と言っているようなので、どこまでできるか挑戦は続けてほしいと思います」
そんな期待もされる一二三は、今回敗れた妹の詩の存在について、こう話す。
「試合後に一瞬会って『おめでとう』と声をかけてもらいましたが、今は多分すごくしんどいとは思うから、しばらく言葉はかけられないかなと思います。この3年間は本当に、お互いに勝ち続けて周りからすごく期待されたし、たくさんのプレッシャーもあるなか、一緒に歩んできました。『今日のこの日のため』だけにやってきたというのがある。
だから僕も正直、ふたりで金メダルを獲って喜びたかったけど、今回は妹の負けがこんなにも悔しくて辛いものなのだなと実感しました。これまでは、どっちらかといえば僕が勝てない時期のほうが長かったけど、それを見ている側はこんなにも苦しいんだなと。
だから本当に今回、詩が負けたことでまた新しい目標ができた。僕ももっともっと頑張らないといけない理由が増えました。ふたりでロス五輪の金メダル取るために詩もここから練習をして試練を乗り越えていくと思うから、兄妹で切磋琢磨してやっていきたいと思います。妹の気持ちが落ち着いたら話をしたいと思います」
一二三は、自身の五輪3連覇と兄妹で2冠という目標に向けて再び突き進む覚悟を決めている。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
柔道女子・阿部詩 インタビューカット集
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