【パリオリンピック柔道】阿部一二三が貫いた己の道 妹・詩の敗退と東京五輪からの苦闘の末に掴んだ五輪2連覇
阿部一二三は自身との戦いに打ち勝ち五輪2連覇を達成した photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る
【「正直、泣きそうにもなりました」】
パリ五輪柔道2日目の7月28日、阿部一二三(66kg級)と阿部詩(52kg級、ともにパーク24)が兄妹で目指した五輪2連覇。その夢は、詩の2試合目で途絶えた。対戦相手のディヨラ・ケルディヨロワ(ウズベキスタン)は、2023、24年の世界選手権でともに2位の強敵。開始2分14秒で詩が内股で技ありを取って優位に立ったが、3分04秒に谷落しで一本を取られて敗退。畳の上で号泣した。
ウォーミングアップ会場でその結果を一二三たちとともに見ていた鈴木桂治・男子監督は、その時の一二三の様子を振り返る。
「詩選手が負けた瞬間は、映像モニターで一緒に見ていました。周囲は『ワーッ』となったけど、一二三は負けたのを確認した直後には、体の向きを変えて畳のほうに上がっていった。我々も声はいっさいかけませんでした」
外から見れば平静に見えた一二三だが、その胸中は、さまざまな感情が交錯していた。
「最初は信じられなかったし、正直、泣きそうにもなりました。妹が悔しがって泣いている姿を見て、僕も感情をどうしたらいいのかなとも思ったけど、それ以上に『僕が金メダルを獲らないで誰が獲る』『妹の思いも背負って最後まで戦いにいこう』と覚悟を決めました。泣くのは今ではないと思ったし、ある意味あれで開き直れた。『もうやるしかない。思いきってできる』という気持ちになりました」
一二三は、詩の敗退後の2回戦から登場。最初の戦いは開始59秒でふたつ目の技ありを決めて合わせ一本勝ち。続く準々決勝は開始41秒に技ありを取ったあとで鼻血が出てなかなか止まらないアクシデントもあったが、「常に強い気持ちを持って戦っていたので、準々決勝も我慢の時間だなと思ってやっていた」と2分41秒に技ありをもう一本決めて決着をつけた。
「五輪は今回も妹が負けたように、思わぬことが起きる。詩の試合展開を見ていても悪くないし、技も出していたから自分も大丈夫かなと思っていました。だから負けるのを見たあとは、どの試合も『絶対に足元をすくわれてはいけない』と思いました。でも、それで前に出られなかったり、気持ちがすくんでしまったらダメだから、今日はずっと『自分の柔道をするだけだ』ということだけを考え、自分に言い聞かせ続けてやっていました。だから妹の負けから、より気を引き締めることができました」
準決勝の対デニス・ビエル(モルドバ)戦は、なかなか組んでこない相手に仕掛ける姿勢を見せて指導を出させる展開にした。なかなか勝負は決められないなかでも、冷静な表情を保ち続けると、ゴールデンスコアに入ってすぐの9秒、接近した体勢から「払い腰」で一本勝ちを決めた。
決勝はウィリアン・リマ(ブラジル)との対戦。
「準決勝を見ていたけど、(リマは)けっこう掛け逃げがひどいなと。それに付き合ったら駄目だなと思った」という相手だったが、1分8秒に「小外刈」を出してから「隅落し」に切り替えて技ありを獲得した。
「小外刈は意識して出していこうと思いました。今年の世界選手権の彼の試合も見たけど、相手のペースにして長引いたらしんどいと思ったけど、技ありを取ったら相手も出てくるのでやりやすくなりました。この3年間で足技をけっこう重点的にやってきた部分もあったので、試合が始まったら頭で考えてなくても足技が出た。その点はすごく成長しているなと思いました」
こう話すように2分36秒には「袖釣込み腰」で技ありを取り、合わせ技2本の一本勝ちで五輪連覇を達成した。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。