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ボクシング史上初の兄弟タイトル戦は「話題性優先だった」「10回くらい断った」 弟の江口勝昭が明かす30年前の死闘の裏側 (3ページ目)

  • 一ノ瀬 伸●取材・文 text by Ichinose Shin
  • 北川直樹●撮影 photo by Kitagawa Naoki

●兄と弟、昔と今

 14人いるきょうだいのなかで年齢も近く子どもの頃から関わりが深かったふたり。中学時代には九州男が学校の副番長を張り、もの静かな勝昭の面倒を見ていた。勝昭が東京に憧れ、その後ボクシングを始めたのも、先に上京しボクサーになった九州男の存在があったからだ。

「中学校を卒業したあとは地元でいろんなバイトを転々としていて。悶々とした毎日を送ってました。そんな時に成人式で兄貴が帰ってきた。それで『俺も東京に行きてえな』って言ったら兄貴が『いいよ、来いよ』って。当時兄貴が働いてた寿司屋の仕事を紹介してもらって東京で暮らし始めました。俺は頭が悪い人間だから何もできないけど、ボクシングに出会っていろんな人とつながれました。それは、感謝してますよ」

プロボクサー時代の勝昭(中央) 写真提供/江口勝昭プロボクサー時代の勝昭(中央) 写真提供/江口勝昭この記事に関連する写真を見る 直接対決後、九州男は2回のタイトル防衛に成功している。若かりし日々をともに過ごしたふたりだが、引退後は顔を合わせる機会は減ったという。

「別の兄弟から『お前らは兄弟対決をやってから(関係が)おかしくなった』とよく言われます。別に俺はその試合のせいだとは思わないし、もともとタイプが違ったから。最後に会ったのは数年前ですね。俺の家に兄貴のボクシングのトロフィーとか兄弟対決の時の額縁とかがずっと置いたままだったので取りに来いって言って。それから連絡はとってないです」

「伝説の」「史上最悪の」「最も痛々しい」などという冠がついて語り継がれる兄弟対決から30年の月日が経とうとしている。試合を引き受けたことに今、後悔はないのだろうか。

「他の人に迷惑をかけたなとは思っています。俺たちふたりを応援してくれた仲間とか家族には痛々しい記憶しか残らないと思うから。なんというか......やらないほうがいい、やんなきゃよかったと思うこともあるけど、俺はやってよかったと思うんです。自分の人生にとって財産になっているものもあるから。だから後悔はない。でもやるんなら、もうちょっとトレーニングを積ませてもらってからやりたかったかな」

現在は東京都内の寿司屋で寿司職人として働く現在は東京都内の寿司屋で寿司職人として働くこの記事に関連する写真を見る【プロフィール】
江口勝昭 えぐち・かつあき 
1970年、福岡県生まれ。14人きょうだいの7男。1990年にライトフライ級でプロデビュー。1993年の日本ストロー(ミニマム)級王座決定戦で、同じ角海老宝石ジム所属で兄の九州男(本名・光夫)と史上初の兄弟・同門対決を行なう。結果は6ラウンドTKO負け。1997年1月の現役引退まで成績は14勝(2KO)10敗1分け。現在は、東京都内の寿司店に勤務。

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