「プロレスは男の詩」全日本プロレスの実況アナが天龍源一郎に重ねた「反骨」の心 ハンセン失神事件の秘話も明かした (3ページ目)
リング上で文字通り体を張り、闘う天龍本人から、実況に関して抗議を受けたことはなかった。ただ、先輩アナの実況には、こう不満を漏らしたことがあったという。
「先輩の倉持アナが、ジャンボ鶴田、天龍vs長州力、谷津嘉章の選手紹介で『専修大学出身・長州力。日大出身・谷津嘉章。中央大学出身・ジャンボ鶴田』と紹介したんですが、中学を卒業して相撲界に入った天龍選手の時に『天龍源一郎、今日も元気です』と実況したんですよ。
この試合のテレビ中継が終わったあと、私は天龍選手に呼ばれました。すると『若林、倉持に言っておけ。俺は両国中学出身だ。何か文句あるか』って(笑)。実況で天龍さんがクレームを付けたのは、あれぐらいでしたね」
【天龍の延髄斬りでハンセンが失神→大暴れ】
東京ドームのサベージ戦の他にも、天龍のWWFのスターとの闘いで忘れられないのは、1988年3月5日、秋田県立体育館での天龍、阿修羅・原vsスタン・ハンセン、テリー・ゴディだという。
この試合、若林アナは実況を務めずサブとして放送席から見ていた。試合は、ハンセンが天龍の延髄斬りを顔面に浴びて失神。30秒ほど大の字で動かなかったハンセンは、蘇生すると場外の天龍を目掛けてトペを敢行し、体当たりで報復したのだ。
「この時、カメラが真正面から突進するハンセンの顔面をドアップで捉えたんです。すさまじい形相で、すごい映像でした。この試合は私でなく、倉持アナが実況したんですが、あのハンセンが失神する衝撃と画面に映った鬼の形相は忘れることができません」
さらに、この試合が鮮明に記憶に残っている理由は試合後にもあった。失神の屈辱に怒り心頭に発したハンセンは、天龍に制裁を加えるため、体育館のすべての部屋を開け放って暴れまくったのだ。
「放送が終わると、親しい記者の方が『若林さん、部屋に行ったらいけません。ハンセンが暴れているから、見つかったら大変なことになります』と教えてくれたんです。それで私は、日本テレビのスタッフルームに戻らずに体育館を離れました。あんなに恐ろしい思いをしたのは初めてでしたね」
忘れられないハンセンの形相。しかし若林アナには、外国人レスラーでもうひとり、思い出のレスラーがいる。
(敬称略)
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【プロフィール】
若林健治(わかばやし・けんじ)
1958年、東京都生まれ。法政大学法学部を卒業後、1981年に中部日本放送に入社。1984年、日本テレビに入社。数々のスポーツ中継を担当するほか、情報番組などのナレーターとしても人気を博す。2007年に日本テレビ退社後は、フリーアナウンサーとして活躍している。
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