「フロントにタイガー・ジェット・シン様がいらっしゃっております」 呼び出された全日本実況アナは輪島戦について熱弁した

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 木村盛綱/アフロ

名物実況アナ・若林健治が振り返る

「あの頃の全日本プロレス」(4)

(連載3:天龍源一郎に重ねた「反骨」の心 ハンセン失神事件の秘話も明かした>>)

 1972年7月にジャイアント馬場が設立した全日本プロレス。旗揚げから2000年6月までは、日本テレビがゴールデンタイム、深夜帯など放送時間を移しながらお茶の間にファイトを届けた。そのテレビ中継で、プロレスファンに絶大な支持を受けた実況アナウンサーが若林健治アナだ。

 現在はフリーアナウンサーとして活動する若林アナが、全日本の実況時代の秘話を語る短期連載。前回の天龍源一郎に続く第4回は、突然タイガー・ジェット・シンから呼び出された理由、元横綱・輪島の試合の実況でジャイアント馬場との間に緊張が走った瞬間を振り返った。

輪島(右)の国内のプロレスデビュー戦で相手を務めたタイガー・ジェット・シン輪島(右)の国内のプロレスデビュー戦で相手を務めたタイガー・ジェット・シンこの記事に関連する写真を見る

【輪島のデビュー戦でタイガー・ジェット・シンに再び脚光】

 全日本プロレスは、旗揚げ当初から本場・アメリカのトップレスラーを招聘してきた。ライバルの新日本プロレスにはない、豪華外国人レスラーがシリーズごとに来日していたのは、ジャイアント馬場のプロモターターとしての手腕と信頼感が成せる業だった。

 しかし1981年5月、全日本と新日本による激しい"引き抜き戦争"が勃発することになる。最初に仕掛けたのは新日本で、全日本の看板レスラーだったアブドーラ・ザ・ブッチャーを電撃的に引き抜いた。これに激怒したジャイアント馬場と、全日本を中継する日本テレビは、新日本からスタン・ハンセン、アントニオ猪木の宿敵だったタイガー・ジェット・シンを引き抜き、"倍返しの報復"を果たしたのだ。

 シンは同年7月から全日本に本格参戦し、馬場、ジャンボ鶴田ら相手にヒールファイトを展開。ただ、新日本時代よりも試合では精彩を欠いていたため、次第に注目度は薄れていった。

 そんな"狂虎"が再び脚光を浴びたのは、1986年11月1日に石川県七尾市総合体育館で行なわれた、大相撲の元横綱・輪島大士の国内でのプロレスデビュー戦だった。

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