柔道家・朝比奈沙羅が語る「ハードな医学部生活」と「ピョンピョン宙を飛ぶ練習」 (4ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • photo by エンリコ/アフロスポーツ

――そういった冷静な視点を身につけられたのも、「学ぶこと」を放棄せずにやってきたからこそ、でしょうか。

「どうでしょうかね......。ただ別に、『文武両道』って特別なことだとは思いません。これまでずっと当たり前のようにやってきたことですし。人に『文』と『武』は両立するべき、なんて押しつける気持ちもまったくなくて。私はただどちらもやりたいから、習慣だったからやってきただけですから。

 それよりも、勉強とスポーツという二軸だけでなく、例えばスポーツで2つの競技を頑張っているとか、勉強も専門的なことと趣味的なことで2分野を研究しているとか、そういった人に対して、世の中がもっと寛容であってほしいとは思います。そういう人をもっと応援するような雰囲気に変わればいいなって」

――ちなみに、補欠としてエントリーしている東京五輪後も柔道は続ける予定ですか?

「とりあえず、12月に開催予定のグランドスラム東京、(所属のビッグツリースポーツクラブ/栃木県の一員として)地元枠で出場予定の2022年栃木国体までは続けるつもりです。2024年のパリ五輪は......、自分のモチベーション、気力次第ですね」

――最後にうかがいます。トップアスリートとして柔道をやりきった先に、どんな医師になりたいですか?

「まだ専門は悩んでいるのですが、小児科や整形外科、麻酔科に興味があります。医師としての目標は、聖路加国際病院名誉院長だった日野原重明先生。実際にお会いしたことがあるんですが、本当に悟りのオーラが見える方なんですよ。人として徳を積んできたからこそ出せるような雰囲気がありました。日野原先生がおっしゃっていたのが『名医よりも良医であれ』ということ。まさにこの言葉のように、患者にとって親しみやすく、心から信頼される医師が私の理想です。

 あと、スポーツ選手だったからこその視点、経験も医師として活きると思っていて。自分が柔道でケガをしたとき、早く復帰したい私の意思を汲んで、手術を回避しつつも、最適解を導き出してくれたドクターがいました。少し月並みですが、そんなふうに、患者に心から寄り添える医師になりたいと思います」


Profile
朝比奈沙羅(あさひな さら)
1996年生まれ、東京都出身。ビッグツリースポーツクラブ所属。小学校2年生から柔道をはじめる。渋谷教育学園渋谷中・高から東海大体育学部を卒業し、2020年春に獨協医大医学部に入学。今年6月、現役の医学生として出場した2021世界柔道選手権ブダペスト大会の女子78キロ超級で優勝した。

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